1849件のひとこと日記があります。
2022/07/25 06:58
レディブロンド産駒生年順リスト
今日はレディブロンド(1998~2009)産駒を生年順に並べてみた。
Seeking the Gold(シーキングザゴールド)とウインドインハーヘアの仔レディブロンド(鹿毛)は米国産で、来日後の2003年6月21日TVh杯(1000万下)1着でデビューした。
生涯戦績は6戦5勝、2003年10月5日スプリンターズステークス4着を最後に故障により競走生活を終え、翌2004年から2009年に他界するまでノーザンファームで繁殖牝馬を務めた。
彼女は生涯に5頭の仔を残した。
ジャングルビジット(黒鹿毛:ジャングルポケット)
ラドラーダ(青鹿毛:シンボリクリスエス)
ゴルトブリッツ(栗毛:スペシャルウィーク)★☆
アフロディーテ(栗毛:アグネスタキオン)
ガールオンファイア(栗毛:アグネスタキオン)
()内は毛色と父名
★重賞勝ち馬
☆G1勝ち馬(地方G1含む)
2番仔ラドラーダ(2006~)と5番仔ガールオンファイア(2009~)が繁殖入りしている。
特に2番仔ラドラーダはダービー馬レイデオロと重賞勝ち馬レイエンダらの母となった。
つくづく、3番仔ゴルトブリッツ(2007~2012)の早逝が惜しまれる。
レディブロンドは5番仔ガールオンファイア出産後の2009年5月12日、11歳の若さで他界した。
<蛇足>
高知競馬にいる2代目レディブロンド(2020~)は、初代レディブロンドの半弟ディープインパクトの孫娘(父スピルバーグ)である。
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YOSHIさん
五間梯子さん
おはようございます。
レディブロンドは競走馬としても繁殖牝馬としても波乱の馬生でしたね。
藤沢調教師だったからこそ、そのような使い方があったのでしょうね。
2003年スプリンターズSはデュランダルの豪脚が語り草になっていますが、4着レディブロンドとのタイム差は僅か0.2秒でした。
十分チャンスはあったと思っています。 -
YOSHIさん
kannapapaさん
おはようございます。
レディブロンドのデビューは5歳と遅く、僅か3ヶ月余の競走生活をあっという間に駆け抜けました。
怪我さえなければどこまで行ったのか、ポテンシャルは高かったであろう彼女の早逝が誠に惜しまれます。
娘ラドラーダやガールオンファイア、孫息子レイデオロが彼女の血を拡げていくことと思います。 -
五間梯子さんがいいね!と言っています。
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五間梯子さん
5歳になってからデビューってできるんですね。
ゲームだと強制的に登録抹消ですが(笑)
おそらく藤沢和雄調教師は、5歳デビューを早いうちに想定していたのかもしれないですよね、そこまで一度も使わないのですから。
クラブ馬ですから、ある程度使用期間が決まっている中でのその選択は、藤沢氏の信念すら感じました。
確か藤沢氏は「ディープインパクト産駒は晩成」と言っていたと思いますが、その発言は、この馬を見た経験もあったのかなぁ。
実は僕、この馬、全然記憶に残ってませんでした(汗)
当時話題になっていたのだと思いますけどね、5歳デビューで6連勝のG議戦ですから。 -
kannapapaさんがファイト!と言っています。
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kannapapaさんがいいね!と言っています。
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こんばんは
短い競走馬生活でしたが、凝縮してましたね。
早逝は残念でしたが、ラドラーダがバトンを繋いでくれましたね。
世界的な良血なので子孫は繫栄してくれると思います。 -
YOSHIさん
おるたんさんに追加です。
レディブロンドもその弟のブラックタイドも故障で競走生活を狂わせてしまいましたが、本当に優れた競走馬を育てるのは大変なのだなぁと思います。
それにしてもレディブロンドのお仔さんだったゴルトブリッツの早逝は惜しいですね。
競走馬として若くこれからというときだったのに。
彼が繁殖出来ていたら、競馬の歴史はまた変わっていたでしょうね。 -
YOSHIさん
おるたんさん
こんばんは。
いつもお世話になっております。
どうか無理せず、お体を労わって下さい。
レディブロンドは早逝が誠に惜しまれます。
その名を最初に知ったのは、ディープインパクトの半姉としてでした。
5歳デビューでありながら6連勝でG1に届いた、そのポテンシャルの高さが子孫に遺伝したのかなと思います。
今や孫息子レイデオロがレディブロンドの血を拡げていて、種牡馬としての将来を期待されていますね。
ラドラーダの仔は牡馬や騙馬が多かったのですが、近年牝馬も生まれるようになりました。
個人的に今年生まれたキズナの牝馬(ラドラーダの2022)に期待したいなぁと思っております。 -
おるたんさんがファイト!と言っています。