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2022/07/28 08:43
サラ系ダービー馬(2022年7月28日雑感)
ふと思いついたので、89回に及ぶ東京優駿勝ち馬の血統をざっと調べてみた。
89頭の日本ダービー馬のうち、いわゆる「サラブレッド系種」(サラ系)とされた馬は少なくとも4頭いた。
第1回(1932年)ワカタカ
第7回(1938年)スゲヌマ
第13回(1944年)カイソウ
第38回(1971年)ヒカルイマイ
ワカタカ(1929~1945)スゲヌマ(1935~1945以降)ヒカルイマイ(1968~1992)らは、血統不詳によりサラ系とされた馬の子孫だった。
ワカタカの3代母(曾祖母)かつヒカルイマイの5代母でもあるミラ(1895~?)はオーストラリア産とされるが、外見上サラブレッドと全く変わらないにもかかわらず血統書がなかったためにサラ系とされた。
スゲヌマの2代母(祖母)宝永は1913年にオーストラリアから輸入されたサラ系牝馬ホーヱイに比定する説があるが結論は無く、公式には血統不詳とされている。
ミラやホーヱイのような経緯でサラ系とされた豪州産輸入馬のことを、当時は「豪サラ」と呼んだ。
似たような経緯でサラ系とされた血統不詳馬の子孫たちは、その後ほとんどが8代続けて純血サラブレッドと交配したために制度上「サラブレッド」になっており、いわゆるサラ系競走馬はほぼいないとされている。
カイソウ(1941~1945?)は混血サラ系のダービー馬だ。
彼の3代母である豊橋は中間種(中半血種)馬なのだが、豊橋の父である豊平(1889~1910)は血統不詳のスタンダードブレッド系大種牡馬で、おそらく明治末期に豪サラの上帯と交配して豊橋を生んだと思われる。
戦前の馬産は基本的に軍馬改良目的だったのだが、東京優駿の勝ち馬カイソウが種牡馬入りしなかった理由は現在に至っても未だ定説がない。
こうした中間種との混血による混血サラ系の一流競走馬には、他にハセパーク(1933~?)らがいる。
上記のような血統不詳のサラ系は、昭和中期に至り様々な理由でほぼいなくなったとされる。
しかしアングロアラブ種の馬の生産が続いている今、混血サラ系の馬が完全にいなくなったわけではないらしい。
サラ系競走馬の話や豊平そしてヒカルイマイの話はとても興味深いので、いつかじっくり勉強したいと思った。
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YOSHIさん
おるたんさん
こんばんは。
いわゆる「豪サラ」の歴史は明治の日露戦争あたりに遡ることができ、それを考えると日豪競馬交流の歴史の長さに感嘆します。
当時は緊急輸入の性格が強く、血統書が紛失または破棄されたりしたのですが、軍馬改良のためなら血統不詳でもさほど不都合がなかったのでしょう。
今でも内国産種牡馬がシャトル種牡馬として渡豪したり、豪州産の馬が来日したりするのはそうした歴史の積み重ねがあったのでしょうね。 -
おるたんさん
こんばんは。いつもありがとうございます。
興味深いお話をありがとうございます(^-^)
戦前は オーストラリアからの輸入馬が
多かったのですね。
今 社台スタリオンステーションの種牡馬
数頭がシャトル種牡馬として 毎年
オーストラリアにでかけていますが
何か関係あるのでしょうかね?(^-^) -
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YOSHIさん
お主何者さん
こんにちは。
昔は中央でもアラブ系のレースがあったそうですね。
競馬の歴史は奥深いなと思います。 -
お主何者さん
42年前にはアラブ系のレースも中央で在りましたが
右も左もわからないハナタレ小僧の時代ですが
今も競馬はハナタレ小僧ですw