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2022/07/30 07:45
月友について(2022年7月30日雑記)
私が最初に「彼」の名を知ったのは、2021年大阪杯勝ち馬レイパパレの7代母父としてだった。
彼、すなわち月友(1932~1956)は終戦前後の日本競馬界に大いに貢献した大種牡馬だった。
マンノウォーと星友の仔である月友(栗毛)は米国からの持込馬で、故障により不出走ながら1936年から1953年まで下総御料牧場(今の千葉県成田市)で種牡馬活動を行った。
彼は当時としては超良血で、そのせいで出生前から繁殖面で期待されていたのだろう。
在りし日の月友は、父親譲りの立派な栗毛馬だったらしい。
4歳(旧5歳)で種牡馬となった月友は、カイソウ(1941~1945?)ミハルオー(1945~1956)オートキツ(1952~1972)のダービー馬3頭と、1946年オークス馬ミツマサ(1943~?)1951年桜花賞馬ツキカワ(1948~?)ら多数の名馬を出した。
母父としての活躍も目覚ましく、スウヰイスー(1949~1964)クリノハナ(1949~1965)トサモアー(1953~1974)スターロツチ(1957~1986)アサホコ(1960~1973)ら多くの名馬を出した。
月友は同時代の輸入種牡馬だったトウルヌソルやダイオライトらに押されてリーディングサイアーには1度もなれなかったが、リーディングブルードメアサイアーには4度輝いた。
月友の産駒は重馬場や不良馬場に強い仔が多く、そのせいで月友は「雨の月友」の異名を取ったという。
月友の息子たちはミハルオー・アサトモ・ヤシマアポロ・オートキツらが種牡馬入りし、更に孫種牡馬としてアサヒデ(アサトモの仔)を確認したがその後が続かず、月友のサイアーラインは1980年代前半に断絶した。
ただ牝系では月友の影響力がまだ残っており、現在でも遠く彼の血を引く馬をしばしば見かける。
月友が他界したのは種牡馬引退して3年後の1956年、24歳(旧25歳)のときだった。
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YOSHIさん
アヴェノチャンスさん
こんばんは。
レイパパレの血統は由緒が古く、大変勉強になります。
大種牡馬だった月友と、更に顕彰馬トサミドリの血を引いているのは凄いなぁと思った記憶があります。
血統の面白さを感じます。 -
アヴェノチャンスさん
おはようございます!
レイパパレの系譜をたどったら、6代母のトサモアー(1953年生)へたどり着きました。トサモアーは、1956年の菊花賞2着馬。大種牡馬・トサミドリ(1949年皐月賞、菊花賞2冠馬)の産駒で、母父が月友。
レイパパレはトサミドリの系譜でもあったのですね。大変勉強になりました。 -
YOSHIさん
おるたんさん
こんばんは。
星友・星旗ら下総御料牧場の基礎牝馬は日本競馬史に輝く名牝たちでした。
ゴールドシップは牝系を遡ると8代母に星旗に辿り着きますね。
ゴールドシップの7代母・月城(クレオパトラトマス)はあまりに強いので戦前でありながら海外遠征の話さえあったとか。 -
おるたんさん
こんばんは。
「雨の月友」、レイパパレも重馬場に強いですものね。
下総御料牧場と言うと、ゴールドシップの牝系も
そうだったなあ、と思い出しました。 -
YOSHIさん
東京競馬場の怪人さん
こんにちは。
馬の血統には様々なドラマが見えますね。
とても興味深いです。
米国の歴史的名馬マンノウォーの貴重な仔が持込馬として来日したというのは、当時でも稀有の奇跡だったと思われます。
下総御料牧場跡は確か公園や記念館になっているんですよね。
一度行ってみたいです。 -
東京競馬場の怪人さんがいいね!と言っています。
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東京競馬場の怪人さん
こんにちは。
馬の血統をたどると色々な歴史が見えてきますね。
月友は、知りませんでした。当時は、すごい馬だったんでしょうね。教えて頂いてありがとうございます。
トウルヌソルやダイオライトは、成田空港近くの下総御料牧場跡に碑がありますね。
海外の馬ですが、昔にキャメロットの母血統をたどるとキンツェムがいたと言うのにびっくりしました。
ロマンですね。 -
おるたんさんがいいね!と言っています。
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ひろすけさんがいいね!と言っています。
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YOSHIさん
お主何者さん
おはようございます。
日本近代競馬の歴史は幕末開国期まで遡れるのですから、長い歴史ですよね。