1846件のひとこと日記があります。
2023/08/14 08:20
カイソウは何処にいた?(2023年8月14日雑記)
戦禍に散った悲劇の名馬として、真っ先に名前があがるカイソウ(1941~1945?)。
月友の仔カイソウ(栗毛)は1944年6月18日の第13回東京優駿の勝ち馬だった。
このときの東京優駿は能力検定競走とされ、戦争激化により無観客開催となった。
馬券の発売はなく、観客も馬主や軍人など僅か200名程度という寂しい光景だったという。
この日の東京競馬場は、豪雨明けで重馬場だった。
このレースでカイソウは栗毛をなびかせ、4角手前で先頭に立つとそのまま突き抜けたそうだ。
2着以下に5馬身差以上付ける大勝だった。
カイソウは同年の長距離特殊競走(菊花賞)では1位入線しながら主催者側ハプニングのため失格となったが、主催者側がへマをしなければ彼が二冠馬になっていたことは間違いない。
そのカイソウは生涯戦績13戦8勝、1944年12月23日1級種牡馬選定12着を最後に競走生活を終えた。
引退後のカイソウの消息については、確たる証拠がなく謎が多い。
少なくとも、ダービー牡馬として引退したのに種牡馬実績がないのは日本競馬史上カイソウのみである。
以下は通説を私なりに総合したもの。
*引退レースの翌々日に競り市に出され、陸軍名古屋師団(*第13方面軍であろう)が落札して司令官の乗馬になったらしい。
*このときカイソウに乗ったのは岡田資(1890~1949)中将であろうとのこと。
*部隊内では誰もカイソウをダービー馬と知らず、彼は「とても速い元競走馬」としか認識されていなかったとか。
*1945年5月19日の名古屋大空襲で厩舎が焼けて軍馬の大半が焼死し、数頭が暴れて街中に逃げたという。カイソウが消息を絶ったのもこのときとされる。
恐らく名古屋大空襲で焼け死んだであろうカイソウは、このとき僅か4歳(旧5歳)の若さだったのだ。
-
YOSHIさん
おるたんさん
こんばんは。
お気遣いいただきありがとうございます。
こちらは今まさに台風到来中で、暴風雨です。
北海道にも行くのですね。
夏の風物詩とは言え、台風は大変です。
戦争に翻弄されたダービー馬カイソウ。
戦争は多くの名馬と競馬関係者を巻き込みました。
その中で幾多の悲劇がありました。
世界平和はすべての人類の宿願ですね。 -
おるたんさん
いつもありがとうございます。
そちらは台風の被害は大丈夫ですか?
今回は北海道の方へも16.17日辺りくるようで
暴風雨に気を付けるよう、ローカルテレビで放送してました。
カイソウのお話、聞かせて下さって
ありがとうございます。
空襲で亡くなってしまったのなら
本当に悲しいことですね。 -
おるたんさんがファイト!と言っています。
-
YOSHIさん
kannapapaさん
こんばんは。
戦禍に散った名馬が今も世界中にいるのかも知れないのですね。
本当に悲しいことです。
世界平和は人類永遠の願いだと思います。 -
こんばんは。
人間のエゴで始まった戦争に巻き込まれて亡くなったのなら
残念ですね。
今の日本ではないと思いますが、世界では同様の可能性があるので
こういう話を聞くと世界が平和になることを願いたいです。 -
YOSHIさん
五間梯子さん
こんばんは。
もしそうなら、日本競馬界にとってどんなに良いことか(*´ω`*)
名古屋空襲から逃げ切って、どこかの放牧地で長生きしたかも知れない……そうであればいいなという願望は、当時から囁かれていたようです。 -
五間梯子さん
意外と戦火のどさくさに紛れ、別馬の替玉として中央競馬界に、もしくは地方馬として大いに活躍してたりして。