1843件のひとこと日記があります。
2023/10/18 08:58
ライスシャワーの話(1992年菊花賞)
私がライスシャワーの戦績を知ったのは、2017年に競馬を学び始めたときだった。
それ以前も彼の名前を一応知ってはいたが、レース(1995年宝塚記念)中に落命した悲劇の馬という認識程度だった。
以下は、当時(2017年秋頃)の夫との会話を思い出したもの。
今思えば、夫は私の無知を鑑みて相当噛み砕いて説明してくれていたのだな。
1992年11月8日
京都10R 第53回菊花賞(G1)晴・良馬場
1着:ライスシャワー(的場均)
2着:ミホノブルボン(小島貞博)1.1/4馬身
3着:マチカネタンホイザ(岡部幸雄)頭
私「1992年菊花賞はライスシャワーが勝ったと聞いている」
夫「僕はリアルタイムで知っている訳ではないが、あの菊花賞はミホノブルボンの無敗三冠が掛かっていた。競馬客の関心もミホノブルボンに集中していた筈(*単勝1.5倍)」
私「そのミホノブルボンの三冠を阻止して、脇役だったライスシャワーが一気にスターダムに駆け上がった訳か」
夫「そんなことはない」
私「え、何で?」
夫「詳しい説明は省くが、1992年にミホノブルボンの無敗三冠を阻止し、1993年にメジロマックイーンの天皇賞春3連覇を阻止し、奴はすっかりヒール役が定着してしまった」
私「へぇ」
夫「その後、悲劇的な最期を遂げたこともあって、ヒールだったライスシャワーは国民的人気馬になった。僕はこの手の平返しが納得いかないのだがね」
そして、波乱の馬生を終えたライスシャワーは淀の守護神となった。
動画「1992年菊花賞」JRA公式
https://www.youtube.com/watch?v=-K7aJZFBd14
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YOSHIさん
五間梯子さん
こんばんは。
ライスシャワーはそのキャリア全般で日本競馬ファンに大きな印象を残したように思います。
それにしても、ライスシャワーの香港表記が「米浴」ですか…。
教会婚の習慣のあるイギリス統治下にあった香港での表記ですから、それで正解なんでしょうけどねぇ…。 -
五間梯子さん
ライスシャワーは、天邪鬼の僕にとってはヒーロー以外の何物でもなかったです、
表舞台への駆け上がりも、もがきも、去り際も
ちなみに僕は、
ライスシャワーの香港の表記が「米浴」ってのが納得いきません
僕的には「祝米舞」が良いと思ってます! -
YOSHIさん
kannapapaさん
こんばんは。
なるほど、当時の雰囲気はそうだったのですね。
淀で良くも悪くも有名になったライスシャワーは、やがて日本競馬界の愛馬になって淀の空で今も走っているのかも知れないですね。 -
kannapapaさんがいいね!と言っています。
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こんばんは。
菊花賞時のライスシャワーはヒール役でしたね。
杉本アナが「関東の刺客」と言ってましたし、
刺客という言葉自体ヒールぽいイメージですね。
馬は一生懸命走っているだけで関係ない話ですが、、、
当時はライスシャワー、キョウエイボーガンが恨まれてる感じはありましたね。 -
YOSHIさん
おるたんさん
こんばんは。
ライスシャワーは1995年天皇賞春勝利で競馬ファンの人気を集め、同年の宝塚記念ファン投票で選ばれました。
宝塚記念に出走するつもりがなかったにもかかわらず。
本当に何という波乱の馬生かと感嘆しました。 -
おるたんさん
こんばんは。
ライスシャワーの心打たれるお話を
ありがとうございます
後でゆっくりレースも見てみますね -
おるたんさんがいいね!と言っています。
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YOSHIさん
おいちゃん
初めまして、こんにちは!
1992年菊花賞リプレイ動画を見たら、ミホノブルボンはキョウエイボーガンの大逃げに引っ張られて掛かったのが見えました。
馬体を見ても明らかに長距離馬でもないのに、2着に入るのは本当に強かったのですね。
これがミホノブルボンのラストランになったとは、残念の極みです。
ライスシャワーは映像を見ても、黒光りする馬体がカッコ可愛いと思いました。
返す返すも1995年宝塚記念の映像は壮絶で、今も正視できません。 -
おいちゃんさん
初めまして!
確かあの菊花賞はミホノブルボンと同じ
逃げ馬のキョウエイボーガンに端を切られ
で、ミホノブルボンが掛かってしまったんですよね…
それでも2着なんですから強いですよね…
因みに自分は今でもライスシャワーが大好きで…
「黒い刺客」とか言われてましたよ。