1842件のひとこと日記があります。
2024/01/30 08:03
セントライトの血筋を追いかけてみた
日本競馬史上最初の1941年三冠馬セントライト(1938~1965)。
その名は没後60年近く経過して、半ば伝説になっている。
ダイオライトとフリッパンシーの仔セントライト(黒鹿毛)は生涯戦績12戦9勝、1941年10月26日京都農林省賞典四歳呼馬(菊花賞)1着を最後に競走生活を終え、翌1942年から他界するまで生まれ故郷の小岩井農場(岩手県雫石町)や岩手畜産試験場で種牡馬活動を行った。
彼は生涯に少なくとも100頭の産駒を残し、オーライトやオーエンス、セントオーら活躍馬を数多く出した。
しかし終戦後に三菱財閥(小岩井農場の経営元)が解体されると、1949年に岩手畜産試験場に移動し肌馬の質も大幅に低下した。
晩年の産駒にはサラブレッドよりも、中間種やアングロアラブ馬の方が多かった筈である。
1965年2月1日、セントライトは繋養先の岩手畜産試験場にて老衰のため27歳(旧28歳)の生涯を閉じた。
奇しくも前年(1964年)にシンザンが史上2頭目の三冠を達成していた。
セントライトの没後、記念競走(セントライト記念)が創設されたりJRA顕彰馬に選出されるなど、彼の栄光と功績は数多く称えられた。
セントライトは10頭の後継種牡馬を得たが、サイアーラインは1970年代半ばに途切れたとか。
娘64頭が繁殖入りしたが、最も伸びているのは娘トミユキ(1948~1972用途変更)の系統である。
トミユキの孫娘チャイナトウショウ(1972~1989用途変更)はトウショウ牧場の主要牝祖の1頭になり、スイープトウショウ(2001~2020)ピンクカメハメハ(2018~2021)らを出した。
セントライト→トミユキ→キラクハート→チャイナトウショウ→マーブルトウショウ→サマンサトウショウ→タバサトウショウ→スイープトウショウほか→(続く)
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YOSHIさん
笑われるホビットさん
おはようございます。
セントライトのサイアーラインは1970年代まで存続していましたが、外国産種牡馬の輸入解禁とともに次第に淘汰されたとのことでした。
名馬の血を集めても、生まれた仔馬が走るとは限らないのが血統の難しさ奥深さですね。 -
笑われるホビットさんがいいね!と言っています。
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笑われるホビットさん
おはようございます。トーセントライト、と遊んでみましたが、この名馬の血を持ったお馬さんは、もっと生き残ってると思いました。
その、近頃3冠馬の血が数頭集結したことで話題の種牡馬がいまして、そのお馬さんの配合相手を探すヒントになりました。 -
YOSHIさん
おるたんさん
おはようございます。
あのスイープトウショウがセントライトの末裔と知った時、何という巡り合わせかと驚きました。
タバサトウショウ・スイープトウショウには後継繁殖牝馬がいるので、その牝系は今後も続くでしょう。 -
YOSHIさん
kannapapaさん
おはようございます。
セントライトはほとんど伝説の馬ですね。
その事績をリアルタイムで知っている人はもういないでしょう。
彼もまた、終戦の混乱に翻弄された名馬の1頭でした。
サイアーラインは既に途切れていますが、牝系でまだ存続しているのが凄いなと思いました。 -
おるたんさん
ここ数日とても忙しくまた体調も
今一つで簡単で申し訳ありません。
セントライトの娘トミユキの孫娘チャイナトウショウが
(1972~1989用途変更)トウショウ牧場の
主要牝祖の1頭になり、スイープトウショウ(2001~2020)
ピンクカメハメハなど出したんですね
サマンサ タバサ スイープには
とうしょう牧場で会いました。 -
おるたんさんがいいね!と言っています。
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kannapapaさんがいいね!と言っています。
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こんばんは。
セントライトは写真でしか見たことがないですね。
生でレースを見た人は殆どいないと思います。
伝説の馬ですよね。
サイヤーラインが続くことを願います。