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2024/08/01 02:26
バロン西の話をしよう(2024年8月1日雑記)
1932年ロサンゼルス五輪の障害馬術競技で金メダルを取った「バロン西」こと西竹一男爵(1902~1945)とウラヌス号(栃栗毛:1919頃~1945)。
彼らの伝説の詳細は各種専門書に譲るとして、その活躍は戦後に至っても日本国民の間で語り草になっていたらしい。
私「お母さんは西竹一さんの話を知っているんだね」
母「知ってるよ。私が生まれる前の話だからリアルタイムでは知らないけど、戦後になってもバロン西とウラヌスは語り草で、私もよく大人たちから話を聞いていたよ」
私・夫「へぇ!」
母「まぁ、あの時代は日本スポーツ界の明るい話題がそれぐらいしかなかったからね。今もだけど、昔は特に欧米人との体格差が著しくてね…」
夫「それにしても『バロン西』とは凄い名前ですね」
私・母「は?」
夫「え?」
私「アニメじゃあるまいし、戦前の日本に『バロン』なんて名前がある訳ないだろう。西竹一さんは男爵だったから『バロン西』と呼ばれたんだ」
夫「男爵!?本物の華族だったのか!?」
私・母「そうだよ」
ともかくバロン西とウラヌスの伝説は、幼き日の母の耳に残っていたらしい。
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YOSHIさん
ウイズダムさん
こんばんは。
いわゆる洋式馬術は明治時代に導入されましたが、軍馬も騎手も当時は欧米とは格段にレベルが違っていました。
そんな中での西竹一男爵とウラヌス号の快挙は、本当に凄かったのだろうなと思います。
本当に、戦争で惜しい人を亡くしました。
米国映画「硫黄島からの手紙」には西男爵も実名で登場します。 -
ウイズダムさん
こんばんは。
92年も前の話ですよね。
当時は、障害馬術が日本にあったのでしょうか?
今でも競走馬が引退して選ぶ道の1つのような気がします。
西男爵とウラヌス号の快挙に頭が下がる思いです。
まさに素晴らしい快挙!
それだけに戦死…とは…戦争は、してはいけません。惜しい方を亡くしましたね。 -
YOSHIさん
kannapapaさん
こんにちは。
華族だからというより、西さんの場合は陸軍士官学校卒の陸軍将校(騎兵隊)だったから馬に慣れ親しんでいたような気がします。
当時、騎兵は陸軍の花形だったそうです。
それにしても今回の五輪で馬術競技を見てて、改めて西さんの快挙の凄さを思いました。
本当に戦争で惜しい人を亡くしたと思います。 -
kannapapaさんがいいね!と言っています。
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こんにちは。
当時、日本で乗馬というのは華族の様な方しかできなかったのでしょうか?
競馬でも欧州の方が伝統があるので日本では知名度が低い様な気がします。
それでもメダルを取るような活躍をしたというのは現在よりも価値があるような気がします。
今回の日本代表の快挙で眠っていた快挙が掘り起こされたんですね。 -
YOSHIさん
お主何者2さん
こんにちは。
西竹一さんの快挙から92年、そして来年で没後80年ですもんね。
西さんが持っていたウラヌスのたてがみは米国経由で、今は北海道十勝本別町歴史民俗資料館に収められているそうです。
悲しい最期を遂げた西さんとウラヌスは、今回のパリ五輪馬術日本代表の快挙を天国から見守ってくれるといいなぁと思います。 -
お主何者2さん
おはようございます
こんにちは
バロン西さん初めて聴くお名前です
ツワモノどもがゆめのあと
いのちかけた戦いもスポーツで限界まで戦いもある意味紙一重なのかも -
YOSHIさん
おるたんさん
おはようございます。
変な天気が続きますが、週末までに元気になりたいですね。
おるたんさんもご自愛ください。
愛馬の皆さんが無事走れることを祈っております。
西竹一男爵は陸軍中佐だった終戦間際の硫黄島で米軍と戦い、壮絶な戦死を遂げました(戦死により大佐に昇進)。
彼は終生、ウラヌスのたてがみを持ち歩いていたとか。
ウラヌスが馬事公苑で亡くなったのも同じ頃でした。
西男爵の話を聞くたびに、戦争の恐ろしさを思います。 -
おるたんさん
お気遣いありがとうございます。
今週末は土曜が3歳のフルレゾン、日曜が4歳のオルフェスト
それぞれ札幌競馬場で走ります。偶然にもオルフェの娘たちです。
もう指定席も取ってあるので、なんとか体調ととのえて応援いきたい
ものです。
バロン西さんとウラヌスの話、ロスで金メダルを取った以外にも
なにか伝説的な物語があるのですね。
後で調べてみますね。
バロン西さんが1945年に若くして亡くなっていることと
関係あるのでしょうね。。。 -
おるたんさんがいいね!と言っています。