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2025/05/23 07:26
モノポライザーの話(2025年5月23日雑記)
夫「昨日の日記だが、ダイナカールの話をするから倅のモノポライザー(鹿毛:1999~2007)を思い出したよ」
私「名前しか聞いたことがない」
夫「僕が知ってる。約20年前の話だから、多少間違っているかも知れないがね」
サンデーサイレンスとダイナカールの仔モノポライザーは生涯戦績37戦14勝、主な勝ち鞍は2002年若駒ステークスほか。
モノポライザーの誕生後すぐにダイナカールが事故で他界したため、彼はダイナカールの最後の仔となった。
私「1999年生まれということは、タニノギムレット世代か」
夫「そう。超良血の高馬でデビュー戦からの成績も良かったから、非常に期待されていたんだ。橋口(橋口弘次郎調教師)も『今まで管理した中でナンバーワン』と評価していたし、武豊もこの馬でクラシックに行く予定だったんだがなぁ」
私「武騎手かな?『新種のサラブレッド』と評価してたらしいな」
夫「そうだな。ただ僕は奴の実力には、1勝クラスしか勝ってないことから懐疑的だった。当時『サンデーサイレンスに母父ノーザンテーストは走らない』と言われていたし、ちょうどこの頃サンデーレーシングが今の勝負服に変わったのだが、今では信じられないかも知れないがG1勝ちは10年前の1勝(レッツゴーターキン)だけだったんだぞ」
私「ほう」
夫「しかも、この時期に武が落馬骨折で離脱したり本馬が熱発でトライアルレースを回避したりして不運が重なり、2002年の皐月賞16着・日本ダービー14着と惨敗した。時代に恵まれず巡り合わせも悪かったよな。結局、皮肉なことに『サンデーサイレンスに母父ノーザンテーストは走らない』というジンクスは同期のデュランダルやアドマイヤマックスでの活躍で払拭されることになったがな」
そして2007年に佐賀競馬に移籍したモノポライザーは下級条件戦で8連勝したものの、同年7月22日のレースで骨折して予後不良となり8歳の短く数奇な生涯を閉じた。
佐賀に行ってからの彼の消息が知れたのは、一部の熱烈ファンの追っかけ活動のお陰だったと聞く。
夫「2002年皐月賞で惨敗してからも、いつか復活するかも知れないと一部で思われていたからな。その後も、G1や重賞に出走するたびに上位人気に押されていたし」
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YOSHIさん
おるたんさん
おはようございます。
お気遣いありがとうございます。
確かにうちの病院は予約制ではないですね。
そのせいで、早起きしても並ぶことはよくあります。
モノポライザーは「前評判倒れの馬」の代名詞になってしまいましたが、その晩年と死にざまがファンの知る所になっただけまだマシだったのかも知れません…。 -
おるたんさん
いつもありがとうございます。
通院大変お疲れ様ですm(_ _)m
混んで待たされる病院は、名医がいたり評判がよくて
人気があったり予約制ではなかったりするからではないでしょうか?
こちらでは完全予約制のところだと待っても1時間以内の
ような気がします。あと曜日やお天気によってとか。。。
モノポライザーは知らなかったのですが、
可哀想な馬だったんですね。
競馬は運に左右されるところも多いですものね。
良血や見た目がカッコイイなどでいつも人気を背負って
しまってマークが厳しくて、
なかなか勝てない可哀想な子は出資馬にも
いました。そうこうしているうちに故障してしまったり。。。 -
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YOSHIさん
べっちょさん
こんばんは。
それは大変な経験でしたね。
改めて、謹んで合掌したいと思います。 -
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べっちょさん
重要な事実が判明。
“《2007年7/22(日)は佐賀競馬場でこののレースを実際に日》”
吉野ヶ里記念の後のレースだったか。この時に脚やってのか。それは今まで知らなかった。
さすがに残念。合掌…… -
YOSHIさん
kannapapaさん
こんにちは。
モノポライザーは人気が高かったそうですね。
戦績を見て、もう少し巡り合わせやタイミングが良ければと思わないでもないですね。
これも競馬なんですけどね。
かつて、Wikipedia先生にもモノポライザーの項目がありました(いろいろ議論されて削除されたそうですけどね)。 -
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