2015件のひとこと日記があります。
2025/10/17 09:04
山内一豊の馬(2025年10月17日雑記)
土佐藩初代藩主・山内一豊(1545?~1605)の愛馬は名前を「鏡栗毛(かがみくりげ)」と伝わり、有名な逸話がある。
その逸話は以下の通り。
織田信長の馬揃えの際、ある馬商人が"東国一の馬"を織田家に売りに来たが、あまりの高価さに誰も買う者が出なかったところ、当時浪人だった山内一豊が買った。
貧乏浪人だった一豊がそんな馬を買えたのは、妻・千代(見性院)の持参金によるものだった。
千代が自分の鏡箱の底に持参金10両(現在の価値で約150~200万円だったらしい)を隠していたので、一豊はこの馬を「鏡栗毛」と名付けたとか。
その話を聞いた信長は「高い馬だから、信長の家の者でなければ買えないだろうと持って来た馬を、浪人の身でありながらよく買ってくれた。信長の家も恥をかかなくて済んだ」と喜んだとか。
夫「ほう、持参金なのか。僕は千代の『へそくり』と聞いていたぞ。司馬遼太郎の『功名が辻』もへそくり説を採っているしな。へそくりなら横領だから、何という悪妻かと思ったがな」
私「なんでだよ。主婦が貯められるへそくりなど高が知れている。まして貧乏武士の家庭ならな。私なら持参金説を採るけどな。持参金なら馬1頭ぐらい買えるだろ」
夫「そんなもんかね」
私「しかも、さっきの話はあくまで伝説なんだ。根拠になる一次史料がないし、江戸時代の学者たちが編纂した書物でも話の辻褄が無茶苦茶。つまり、一豊夫妻の仲の良さと千代の内助の功を顕彰するための創作話というのが真相に近いだろうな」
これほど仲が良かった一豊夫妻だったが娘(夭折した)しか授からず、後に土佐藩は甥で養子の山内忠義が継いだ。
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YOSHIさん
おるたんさん
おはようございます。
1週間後でないとお医者さんに行けないのですか。
本当にお大事になさってください。
一豊夫妻の話は有名ですね。
司馬遼太郎さんもわざわざ「へそくり説」を採って、しかも千代を(一時的に)悪者にする描写があったので、その辺に戦後~現代の亭主族の怨念を感じました(^_^;)
私でも、わずかなへそくりがバレて亭主に取り上げられた奥様を何人か知ってますから。
出自に定説がなく、下級武士の娘と思われる千代に馬が買える程の持参金があったかどうかは別として、一豊夫妻の美談は今も語り草なのですね。 -
おるたんさん
いつもありがとうございます
身体が痛いです
次行くのは一週間後なのですよね、
功名が辻のお話は、やはりへそくり程度では
高額馬を買えるほどはためられないと
思うので、私も持参金かな?と
思います -
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YOSHIさん
べっちょさん
こんばんは。
司馬さんの「功名が辻」では千代のへそくりのせいで夫婦仲が一時的に険悪になる場面がありました。
一豊の馬の話は今も語り草ですね。
晩年は、土佐に根付いていた長曾我部氏の残党との軋轢で苦しんだそうですが…。
競馬ファンの端くれとして、高知競馬の灯火が今も続いていることに驚嘆と感謝をささげたいですね。 -
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べっちょさん
土佐藩なら後に高知競馬場ができて文化の1つになった。の人気が土地柄じゃないけど。

