プロフェッショナル【武豊】

【第六章　御す】
《第三項　リスグラシュー》
引退した馬だけでは分かりにくい部分があるかもしれない為、ここからは現役の馬を引き出してみる。
リスグラシューはご存知のように出遅れ癖のある馬であり、3回に2回は出遅れるらしい。又、武豊騎手はある取材の質問にこんな答えをしている。｢気合いが入り過ぎても落ち着きがあり過ぎても...んー...難しいですよ。ちょっと落ち着きがあってある程度気合いが入っている方が良い｣と。
ではその出遅れを取り戻そうと何故前へ行かせないのか...。武豊騎手は｢前へ行かせようと押して行くと掛かってしまう｣と、コメントしている。これはサンデーサイレンスの血であるが故の特性であり反面、終いの脚は強烈だ。但し、追い出しても加速が鈍く、最後の直線の半ばから猛烈に追い込んで来る。これは父系のトニービンの血が濃く出ているからだろう。トニービンは加速は鈍いが全く加速しないのではなく徐々に加速をしていき、一気に加速力を増していく二段ロケットのようなものだ。
実際のレースの一例を挙げてみる。
今年のヴィクトリアマイル...いつもよりテンションが高く、ゲート内で落ち着きがなかったらしい。事実、パドックからテンションは高めで地下馬道でも首を上下にし、全く落ち着きを見せなかった。待機所では落ち着きを取り戻したかのように見えたが、ゲート後ろの輪乗りの時点では再びテンションが高くなり落ち着きを見せない。武豊騎手がなんとか落ち着かせようと手綱を一定の長さを保ち握ったまま無理に手綱を引こうとしなかった。この時点から御すことが始まっている。結局そのままゲートインし、ゲート内でも｢常に気合いが入りやすくテンションが高い馬なのでゲート内が不安｣と言っていたことが的中してしまった。そしてスタート。いつも出遅れるリスグラシューがなんと絶好のスタートを切った。これにはさすがの武豊騎手も｢スタートが良かったのには驚いた｣と。しかし前目には位置取りをせずに馬の気分に任せて自信の描いていたベストポジション(後にルメールの位置が欲しかったとコメントしている)を取ろうとしたが、馬を押して行かなければならず、仕方なくルメール騎手の後方に位置取った。リスグラシューは落ち着いているように見えたがテンションが高かった分、掛かり気味に追走していた。傍目には掛かっているようには見えないが、これが行きたがる馬の『武豊流』御し方だ。道中の武豊騎手は拳一つ分ほど手綱を短めに持ち、微妙なタッチによってそっと宥めるようにリスグラシューをコントロールしていた。しかし落ち着いた頃には直線が見えていた。その影響なのか直線を向いて追い出そうとした時に、リスグラシューは一瞬内に切れ込んだ。瞬時に武豊騎手はリスグラシューを外に向けさせ追い出した。他の騎手なら間違いなく内に切れ込んだだろう。それでも1テンポ否、2テンポは追い出しが遅れてしまう。必死に鞭で促すがトニービンの血が出てきて加速が鈍い。二段ロケットが点火されたのは坂下から。この時点で私は掲示板に載るのが精一杯と感じたが結果はハナ差の2着。負けはしたものの『追う』でコメントした通りの内容で、道悪、且つテンションの高い馬を良くここまで走らせたなと、見事な騎乗ぶりに感服させられた。
残念なのは、最後の坂を上がりきり平坦になってから物凄い脚を使い追い込んで来た時、何度ものめっていた。そしてゴール手前数メートルでは一度大きく『ガクッ』とのめっていることが悔やまれた。このことはレースの回顧で自身がコメントしている通りだ。1600mで負けてマイル(約1609m)で勝った内容だった。
この時の騎乗も又、馬の特性やレース当日の馬の状態を見極め馬を導くという、武豊騎手ならではの御し方である。ヴィクトリアマイル以前から安田記念を使う予定だったが、その馬の走りに加え騎乗ぶりを確認出来たからこそ負けはしたものの、武豊騎手継続騎乗で｢安田記念に行こう｣と、レース後に矢作調教師が公言したのであろう。