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2018/09/30 14:24
武豊騎手 4000勝の金字塔
【原点は「人に好かれよ」師匠武田作十郎元調教師の教え】
兄弟子の河内洋調教師が、武豊騎手の偉業をたたえた。共通の師匠だった武田作十郎元調教師(故人)の『人に好かれよ』という教えが、JRA通算4000勝の原点。弟弟子のデビュー時を「技術的には言うことなかった」と振り返り、今後については「体が資本。さらに活躍してほしい」と語った。
河内師が騎手としてデビューしたのは74年。その13年後の87年、自身と同じく武田作十郎厩舎から中央競馬に現れた若者が武豊騎手だった。
「頭のいい子やから、何をすべきか分かっていた。親父(武邦彦元調教師)に迷惑かけないように、というのを一番にやってたと思うよ。みんなから応援してもらったしね。それが一番やろうね。自分一人じゃできないから。みんな協力してくれていた」。
兄弟子として助言やアドバイスを懇々と言い聞かせたわけではなかった。逆に、武豊騎手から聞かれることも少なかった。
「質問されることは、あまりなかったね。自分で考えていた。言われたことは素直に聞いていた。技術的にもこっちから言うことは、なかったね」。
そんな中で、師匠の武田師が口癖のように言っていた言葉があるという。
「『人に好かれよ』というのが、師匠の教えやった。人に好かれないと、馬に乗せてくれないからね」。
競馬が、今ほど国民に受け入れられていなかった時代、職人気質の関係者も多く、ひと癖もふた癖もある騎手が多数を占めていた。
「武(邦彦)さんはクセものやったからな(笑い)。ユタカは素直やから、親父からすれば、まだまだと思ってたかもしれんけど。人の邪魔してナンボという面があったからね、昔は」。
そんな時代だっただけに『人に好かれよ』という武田師の教えは、重かった。
「昔は先輩がいて、乗れなかったこともあった。軌道に乗るまでが大変やった。でも、ユタカは最初から軌道に乗っていたな」。
デビュー間もない弟弟子との思い出のレースがある。88年桜花賞だ。5番人気のアラホウトクに騎乗していた河内師は、武豊騎乗の4番人気シヨノロマンを差し切り優勝。G1で初のワンツーフィニッシュには「オレが勝てて良かったよ」と笑って振り返った。
けがなどでやや成績を落とした時期もあった武豊騎手だが、近年はキタサンブラックとのコンビなどで輝きも取り戻した。
「ユタカは、あまり失敗しない。名馬にいっぱい乗ってるから、それは財産。見てるのと、乗ってるのとでは違う。長い間やるためには必要なことやな。馬は1頭1頭違うから。レースを見ていても衰えはないよ。でもけがが一番心配。体が資本やから。的場(文男=現在62歳)くらいまで乗るんかな?現役でいる間は、さらに活躍してほしいね」。
4000勝の偉業も、まだまだ通過点。弟弟子がターフで躍動する姿を、兄弟子としてこれからも見守っていく。
(日刊スポーツ紙・木村有三)