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2019/03/11 17:52

あれから8年...午後2時46分のサイレンが恐怖の記憶を甦らせる

今日、3月11日午後2時46分...又、追悼のサイレンが街中に鳴り響いた。
「もう8年か...」そう思いつつも、初めて体験したあの時の恐怖が思い出されてしまう。
店内で仕事をしていた時に地鳴りと共に揺れ始めると、立っていられない程の激しい揺れが襲ってきた。外を見るとどの車もその場に停車して大きく揺れていた。築後40年の賃貸店舗の中で身動きが出来なかった私は死を覚悟したが、なんとか難を免れて自宅へ戻ることにした。その車中のラジオから聴こえて来たのが『大津波警報発令』だった。
余震が続いて眠られない一夜を過ごした翌日、周辺の状況を確かめる為に車で出かけた。そして上段の画像近辺に差し掛かると、路上が泥まみれでところどこに津波によって動けなくなった車が放置されていた。画像は河を遡上していく本震後の第一波だが、その後の第二波・第三波によって堤防が決壊し周辺の建物の一階部分は水没してしまった。橋の袂まで行くと一人の警察官から「ここから先は通行止めだから」と言われ、車を降りて対岸を見てみると、なんと車の上に車が乗っていたり、電柱に昇るように立っている車があったりと、初めて見る光景に唖然とさせられてしまった。
その時、警察官から「強い余震があって津浪警報が出されたから避難して」と指示された。危険を感じ避難しようとした時、河の遠くに白いものを目にした。それは河を遡上してくる津浪だった。カメラで撮影しようと準備をしていると、なんと津浪は画像のような距離程まで迫っていた。40センチ程の高さだったがみるみる橋へ迫り、あっという間に橋の下を通り抜けて行った。その光景を画像の黄色○辺りで目の当たりにしたが、あのウサインボルトでさえ追い付かれてしまう程の速さで、一般の我々では容易に呑み込まれてしまう事を実感した。背筋が寒くなり、それこそ真の鳥肌が立った瞬間だった。
その後は、我々の住む街がどんな状況に変貌してしまったのか目に焼き付かせておこうと車を走らせたが、目に入ってきたのは...どこへ行っても下段画像のような悲惨な光景だった。
8年経った現在では何事もなかったかのように復旧してきてはいるが、まだまだ残されている部分も多く、国が示すような『大分復興されてきた』には程遠いのが実感である。
各行政によって度合いは異なるが、復興にはまだまだ多くの時間を要すると直に感じる。

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