37件のひとこと日記があります。
2020/06/13 21:04
羽衣で紡いだ言葉
人はそれぞれに目的を持って産まれてくる。
しかし、母親の体から離れた瞬間にその目的を忘れてしまう。
そして人は、自らに与えられた目的を探すために人生を歩み続ける。
でも、その目的にたどり着く事が大事なのではなく
目的を探す為に歩む、という行為そのものが重要なのかもしれない。
様々な人に出逢い、様々な出来事を体験し
そして自分と言うものが、ある方向へと定まっていく。
自分がしたいと思う事が見つかり、
ある人は、それに向かって進み
ある人は、いつかはきっと、
そう思うだけでその距離を縮める事をしない
また、自分がしたい事も分からないまま歩み続ける人もいる
様々な人が様々な形で暮らしてはいても
人はそれぞれに自分に与えられた目的を探すために人生を歩む
それだけは、誰しも同じ。
人々が暮らす空間には、善と悪が無秩序に散りばめられて
ある時は善に触れ、善として生き、
ある時は悪に触れ、悪として生きるが
常に善である事も無く、常に悪である事も無い
自分が悪に触れる機会が多いのか、また、
自分が善に触れる機会が多いのかで
自分自身が悪で有ったり、自分自身が善で有ったり
自分自身を強く保てば悪に触れても悪に染まらず
善に触れても善に染まらず生きているけるかと言うと
善が持つ力も、悪が持つ力も強大であって
たかが人間一人がどのように踏ん張ってみたところで
その力から逃れる術はない。
人間と言うものは、それだけ弱いものである。
-
峰_さん
善と悪が無秩序に混在する空間に暮らす人々は
自分が触れた方へと変化していくが
稀に羽衣を纏いこの世に誕生してくる人がいて
その人達だけは、空間に混在する善や悪に感化される事無く
自分の考える善と悪によって行動をする事ができる。
単に善と悪、と言ってもそれは一定の基準の元により
区別されるだけであってその善と悪は人それぞれ
また、その人が暮らす環境によって
その区別される事柄は変わってくる。 -
峰_さん
ただ、人は悪を悪と知って物事を行う事はしない。
人はその事柄が善あると思っているから
その事柄を行動に移す事が出来る。
その様な意味で言うと、人々が暮らす空間に
無秩序に混在している事柄の全ては善であって
悪と言うものは存在しない事になるが
人はそれぞれに、善と悪の区別を持って暮らしている。
それによってその事柄が善であれば、善の行いをし
その事柄が悪であれば、自分自身の中でその区別が善に変化し
悪を善として行う事となる。 -
峰_さん
羽衣を纏った人は、
事柄についての善と悪の区別が変わる事は無く
常に善を選び、善の行いをする。
そして人々に何かを伝える時には
自分が纏っている羽衣を少しずつ解しながら
その羽衣を解した糸で言葉を紡ぎ、それを伝える。
そして、その羽衣を全て言葉に紡ぎ終わると
この世の生を終え、また新たな羽衣を纏うために
元の場所に帰っていく。
この世に永遠に消えない言葉を残して。