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2019/03/31 00:25
ドバイといえば…思い出す馬
2019年ドバイワールドカップデー。
メインのワールドカップの日本馬ケイティブレイブの出走取消は大変残念だが、注目はやはりドバイターフのアーモンドアイ・ヴィブロス・ディアドラだろう。
昨年、圧倒的な力で牝馬三冠、さらにはジャパンカップまで、当分破られないであろう超絶レコードを叩きだしたアーモンドアイ、いよいよ世界に進出である。
国内でと同じようにその力を発揮できるか、その先を見据えて大いに期待したい。
今でこそ日本馬がドバイで凱歌を挙げるのは当たり前のことになっているが、ドバイ国際競走が創設された1990年代の日本馬はといえば、厚い壁に跳ね返されてばかりだった。
その時代を振り返って、思い出す馬がいる。
第1回ドバイワールドカップに出走したライブリマウントである。
2歳、3歳の頃はそれほど目立つ成績ではなかったが、3歳の暮れにオープン入りして迎えた初めての重賞、ウインターSを勝って重賞初制覇とすると、その後は準オープン時代を含めて7連勝。
フェブラリーS、帝王賞、南部杯などの大きなレースも強豪たちをものともせずに勝ち続けた。
だが、その年の暮れ、東京大賞典でアドマイヤボサツに敗れると、まるで糸が切れたかのように勝てなくなり、長く不振に見舞われてしまった。
そんな中で出走したのが第1回ドバイワールドカップ。
当時アメリカで大活躍していたのが、「魔王」シガー。
そのシガーが出走してくる中で、不振に陥った馬が好走するなど望むべくもなかったが、シガーの6着に健闘。
残念ながら、この好走が彼の道のりを生きやすいものに変えてくれることはなかった。
その後は国内で9連敗して引退。
種牡馬となるも、活躍馬には恵まれず、乗馬に転向後、現在は功労馬として余生を送っている。
今、この日記を書きながら聴いていたドバイターフで、アーモンドアイが圧勝した。
アーモンドアイも、2011年ワールドカップのヴィクトワールピサも、ライブリマウントやホクトベガなどの先駆者たちの拓いた道を、歩いたのだ。