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85件のひとこと日記があります。

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2019/09/19 00:55

馬を愛するということ

嫌な事件が、起きてしまった。

詳細は広く報道されているのでここでは割愛する。

私がこの犯人に対して思うのは、「馬を愛しているのだろうか?」ということである。
愛していなかったのであれば、名前は聞いたことのある別に思い入れもない名馬のたてがみを切った、そしてそれを懐に入れた、ということになるだろう。
(当該馬のたてがみがフリマアプリに出品されていたそうだが、出品者がたてがみを切った者と同一人物であるかはまだわからないので、安易に決めつけることはしない)

もし、愛する馬に対してこうした行動をとったのならば…。

「愛するシャトル、ちょっとごめんね」とでも言って、たてがみに刃物を入れたのだろうか。
それは、馬を自己の所有物と見做し、自分が所有しているのだから何をやっても構わない、という思い上がりであり、そもそも自分のものでもない馬を「自己の所有物」と考えること自体が歪んだ所有欲の産物である。

従って、その愛とは歪んだ愛であり、帰納的に偏狭な自己愛であるにすぎない。

そして、両者に共通するのは、この馬を愛し、守ってきた関係者と、彼のことが大好きな多くの競馬ファンに対する想像力の著しい欠如ではないか。

多くの牧場はファンのために好意で馬を見学させてきたし、ファンもルールを守って馬を見て、ふれあって、「また会いに来るからね!」と幸せな気持ちで帰ることができた。
そのために牧場など関係者は入念に馬をケアし、多くの客への対応に追われながらもファンとの交流に心を砕いてきた。
既に、牧場の見学を中止する牧場が増えてきているという。
こうした交流の途が、今後閉ざされてしまえば、関係者の今までの努力は無に帰し、ファンは深い失望を味わうことになるだろう。

こうした事態にまでつながりかねないことを、想像力に乏しい犯人は恐らく考えもせずに凶行に及んだのだろう。

私は馬を愛してきたし、これからも愛する気持ちに変わりはない。
その愛は、決して「歪んだ愛」「偏狭な自己愛」ではないし、これからもそうではないと、はっきり言い続けられるように、今の気持ちを忘れないようにしたい。

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  • 首都羅臼さん

    あきりんさん、コメントありがとうございます。

    そう考えると悲しくなりますよね。
    それに、われわれ競馬ファンが世間からそういう疑いの目で見られているかもしれないという…。
    私はほとんどの競馬ファンはそんな人たちではないと信じたいですが、誰がよからぬことを考えているかは分からないですから…。
    本当に情けないです。

    2019/09/19 13:15 ブロック

  • あきりんさん

    もう、性善説でものを考えてはいけない時代なんですかね。人を見たら泥棒とおもえっていう、アレですかね。なんだか情けない時代になりましたね。

    2019/09/19 01:33 ブロック