スマートフォン版へ

マイページ

333件のひとこと日記があります。

<< 神の創造の意味... ひとこと日記一覧 転生... >>

2019/05/05 01:47

全知全能の前提

もし、かつて我々は、全知全能であったという立場を採るならば、我々の行動パターンについて、ある発見を見出だすことが出来る。それは、『不便さを好む』という傾向である。その点では、全知全能とは、ひどく退屈であろうと推測する。

例えば、何かを達成しようとした場合、一定のプロセスを経て、達成したり、達成しなかったりするという手順を踏む。楽しみとは、一定のプロセスそのものや達成時に見出だすことが出来るが、全知全能であれば、その楽しみを得ることは出来ない。

ドラクエに熟達したものならば、あえて『踊り子』でパーティーを編成することだろう。なぜならば、あまりに熟達しているため、普通にゲームをこなすことは、あまりにも簡単で馬鹿馬鹿しく思えるからである。『不便さを楽しむ』という点にしか、楽しみを見いだせないのである。

全知全能とは、自分の能力を減少させる、もしくは、力を制限する条件を追加する以外に、一定のプロセスや達成時の楽しみを見いだす方法はない。我々が肉体の中に『居る』理由も、もしかしたら、これらのためかもしれない。

車があるのに、歩いて山に登る。混むとわかっているのに、連休でディズニーランドに行き、他愛もない乗り物に乗るために、何時間も立って並ぶ。これらも、我々の『不便さを好む』傾向を語ることが出来る他のいくつかの事例である。

逆説的に、我々の『不便さを好む』という傾向は、かつて我々は全知全能であったと推測できる根拠となり得る。元々備わっている行動パターンとは、容易に変化するものではない。意識的・無意識的に、何世紀も同様の歴史的事変を繰り返している事実からも、この事は、推し量ることが出来る。

いいね! ファイト!