104件のひとこと日記があります。
2019/09/24 19:08
「阿部慎之助物語」巨人編1
♪パパンパンパン♪プロ入り初年度の2001年、いきなり阪神との開幕戦でスタメンに抜擢された我らの慎之助は、その試合で初打席、初安打、初打点と最高のスタートを切った。当時ヘッドコーチの原辰徳が進言してのスタメンマスクだったので4打点の大活躍に後の原監督もホッとしたことであろう。慎之助と原辰徳の縁はルーキーイヤーからがっちりと結ばれていたことに運命を感じる。その年、127試合と正捕手の座を奪った慎之助は規定打席には若干の不足だったが13本のホームランを放ち非凡な長打力を長嶋監督に印象付けたのであった。翌2002年も127試合に出場して巨人捕手として山倉以来の規定打席に到達。シーズン後半から由伸のケガにより3番を任され何と4度のサヨナラ打をマークして「サヨナラ慎ちゃん」と呼ばれ勝負強さをチーム内外に誇示したのである広島戦で記録した自身初のサヨナラホームランは巨人の東京ドーム通算1000号のメモリアルアーチとなり、持っている男の片鱗を大いに感じさせた。翌2003年は右肩の故障で94試合の出場に終わった。規定打席不足ではあるが3割を打ちオールスター初出場を果たしたが慎之助にとって悔しいシーズンとなったのであります。翌2004年は4月に6試合連続ホームランを記録、その後の4月28日には1試合3ホームランを放ち4月だけで16ホームランとあの偉大な王貞治の球団記録を更新した。稀代のホームランバッター阿部慎之助が覚醒した瞬間であった。最終的には33ホームランを打ち巨人の捕手として球団史上初の30ホームラン以上を記録した。翌2005年、5番に定着した慎之助は打率3割超、出塁率と得点圏打率がチームトップと押しも押されもせぬ主軸バッターに成長したのである。翌2006年、第1回WBCの侍ジャパンに選出されたが右肩の故障により辞退した。打率は4年ぶりに3割を切りホームランも自己最低の10本と苦しいシーズンとなったが盗塁阻止率は4割4分3厘と自身最高を記録した。再三の右肩痛で前年より原監督からファーストへのコンバートを勧められたが固辞し続けていた慎之助のキャッチャーとしての意地を見せたようなシーズンであった。元ミス日産フェアレディの女性との結婚を発表したのもこの年のことであった。♪パパンパンパン♪丁度時間となりましたこの続きは栄光の巨人編2でお会いしましょうそれでは皆様さようなら
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マジェスタさんがいいね!と言っています。
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闘魂オヤジさん
うーたんさん、慎之助は超人見知りらしいんですが打ち解けると面倒見がめっちゃいいみたいです小林も最初は距離を置いていたので慎之助からもアドバイスは特にしなかったみたいですが小林が意を決して慎之助に教えを請うた時、自主トレに帯同させ自分のキャッチャーとして培った全てを小林に伝授したエピソードがあります心が熱く優しい男なのが、そのエピソードからも分かるような気がします
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闘魂オヤジさん
ごっちさん、原監督の選手を見る目は当時から確かなモノがあったんですよねそれまでの正捕手の村田真一を教育係に任命して徹底的に鍛えあげたことが名キャッチャー慎之助を育てたんでしょうね
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うーたんさん
私が野球を見始めた頃は小学生の頃ですが、思い返してみるとちょうど阿部慎之助選手が入団した頃でした!
ジャイアンツファンになったきっかけは、母の影響と由伸さんです
当時はまだルールもあまりわかっていませんでしたが、阿部慎之助選手がすごい選手なんだということは、幼いながらにわかりました!!
そんな阿部慎之助選手が引退…ただ寂しいという言葉だけでは伝えられないほどの思いです -
ごっちさんがファイト!と言っています。
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ごっちさんがいいね!と言っています。
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ごっちさん
ルーキーでスタメンは原さんの進言だったとは、初めて知りました