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2019/11/28 17:48
巨人軍!忠臣蔵 その一
毎年この時期になると「忠臣蔵」の映画やテレビドラマが日本の風物詩のように放映されますが、巨人軍で忠臣蔵をやっちゃおうとパロディで講談風、落語風を交えてのお話、隅からす美馬でずずずい?と御願い奉ります
時は元禄十四年、刃傷松の廊下で有名な浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及び、大石内蔵助をはじめとする浅野家 家臣の四十七士による吉良邸討ち入りが江戸町民に拍手喝采を浴びた頃、もうひとつの忠臣蔵があったことはご存知だろうか当時、侍たちは戦もなく、そのエネルギーを持てあましていた。そんな時に米国から伝わった野球という、こん棒で丸い球をひっぱたく合戦形式の模擬戦が全国で流行り組織化されるに至った日本を二分して中央連盟と太平洋連盟と名付けられ、それぞれ六つの藩が所属して連盟優勝を争った後、その優勝藩同士で日本一を決める「日の本選手権」が開催され人気を博していた。名門藩の江戸読売藩は山口寿佐衛門 藩主の下、筆頭家老の原辰乃丞の名采配により久々の連盟優勝を遂げ勇躍臨んだ「日の本選手権」で工藤公三郎率いる福岡藩に完膚なきまでに痛めつけられ惨敗を喫したのである
その後、全国藩主会議の席上で太平洋連盟の藩主たちから散々と嫌み、皮肉を言われ山口寿佐衛門 藩主は恥辱にまみれたのであったこの屈辱を晴らすには来年、中央連盟で連覇を果たして「日の本選手権」で福岡藩に復讐を果たすのみと藩主より原筆頭家老に厳命がくだった。こうして、もうひとつの忠臣蔵が始まったのであった。原筆頭家老がまず着手したのは、今年巨人軍の次席家老を引退した阿部之慎之助の後釜を探すことと密かに巨人軍との密約で来年よりの米国勤務を決めていて離脱が決定的な投げ方の筆頭手 山口俊吾朗の後釜の両獲りであったそこで目をつけたのが千葉藩の打ち方 内野手の鈴木大地乃丞と仙台藩の主力投げ方 美馬之楽天に渡りをつけ原筆頭家老自らが藩の移籍交渉に臨んだが獲得に至らず、仇討ちに暗い影が忍び寄ったのであるもうひとつの問題は米国より派遣されていたゲレーロ・ジョータイが二百両を超える高額な報酬小判が仇となり退藩が決まり、その後釜も探す必要が出てきたことであったこの問題は米国より新たな助っ人パーラ・シャークが入藩することで何とかなったが、まだ中央連盟連覇、その先の打倒福岡藩を考えると戦力不足は否めなかったのである(>_<)さて、
この続きは後ほどということで、ひとまず失礼束まつります