17件のひとこと日記があります。
2020/06/15 01:31
函館ニッカンスポーツ杯とエプソムカップ。
函館ニッカンスポーツ杯とエプソムカップ。 後編
前日に思わぬ軍資金をもらって臨んだエプソムですが、これもピースワンパラディー津村とか二日後には誰も名前すら出てこない馬が持ち上げに持ち上げられて天才ダミアンレーンの馬を上回る人気にまで持ち上げられました。
ピ?スワンパラディーなんて来るわけねーじゃんwwwwww
まして津村。
結局人々はレースの直前にやっぱり津村なんておかしいよなwと自力でレーンの単勝を買い増して一位に正常化させていたが、自分もそれでいいと思っていた。
これ、実はオッズの二重誘導作戦でしょ。
ピースワンパラディーは来ない。来るわけないw
しかしそこが過剰に持ち上げられている。
だとしたらレーンだ。馬は二年前にほぼ同じ状況で勝ってる。
サトノアーサーは重馬場を苦にしているような走りをしていましたがそれは変ですよねw現に二年前にほぼ同じ状況のコースでちゃんと優勝してる。重くてスピードに乗れてないような走りをダミアンがしていました。走りにくそうに走ることをかなり上手にできていたと思います。あんなのどう見ても。。なんといえばいいのか。
演出でもないし縁起でもない。インチキとも言いたくはない。
ダミアンレーンはとてもうまく乗っていたことは間違いない。
芝が重くてうまくスピードに乗れていない様を見事に表現できていました。
そう。これが一番しっくりくる。
いかさまとかインチキとか出来レースとかそういうのじゃない。
『表現』ですw。
津村もでたらめなぎりぎりまでの一番人気指令をムダにしないように
ゴールの直前まで何とか勝てそうな前にいって攻めてるレースをしていました。あれで後方待機で10着とかだったらさすがに誰も新聞も買わなくなるでしょう。ツムラとしてはできる最大限のやれることはやれていました。
競馬というのは運でもないし、戦いでもないし、スピードを競う馬の陸上競技でもない。それぞれの能力、それぞれの事情、それぞれの期待と実力を背負った馬がそれに沿ったレースをするという表現行為なのです。
ならばなぜそんな表現行為の中であからさまな危険騎乗や事故を誘発するようなラフプレイが行われるのかといえば、それは我々には知る由もない内部の人間たちの好き嫌い、莫大なお金が動く利権と欲望の世界の争いがあるのでしょう。馬も騎手も競馬という表現をしているだけなのだが
内部の人間たちはただ人形のように指示されるがまま乗っているわけではない、生身の人間なのです。