587件のひとこと日記があります。
2023/09/09 10:46
秋競馬の開幕です!〜「月刊優駿」9月号の特集から
今月号の特集は「名バイプレーヤーBEST100」と銘打ち、
国内外のG1こそ勝てなかったものの、重賞戦線で活躍していた元競走馬の
うち、名バイプレーヤー(脇役)と思われる馬の投票結果が、発表されて
いました。
投票者については、月刊優駿関係者によるものと、読者によるものと
2パターンありましたが、その両方で他馬を引き離して堂々の1位だったのは、
ナイスネイチャ(牡・1988−2023)でした。
ナイスネイチャの生涯成績は、41戦7勝(うち重賞勝ち4勝)と立派な成績を
残しており、獲得賞金額も6億円超と申し分ない成績でしたが、
不思議とG1制覇には縁がありませんでした。
彼が後に「ブロンズコレクター」の異名をとる由来になった、
暮れの大一番である有馬記念での3年連続3着(1991〜93)といった成績を残し
ています。(重賞成績:優勝4・2着4・3着7)
また、重賞4勝のうち、3勝までが1991年の4歳時(現行3歳)におけるもの
であり、古馬になってからは、1994年高松宮杯(当時はG2で、芝2000m)
での優勝がありました。
彼は、1996年のアルゼンチン共和国杯を9歳で出走したのを最後に惜しまれ
つつも引退し、種牡馬になるも2001年に登録抹消されて引退生活を、
引退馬協会が関与する「フォスターホース」として生まれ故郷の牧場で過ごし
ていました。
彼の誕生日である4月16日に合わせて、引退馬協会が寄付を集め、彼の認知度が
上がるにつれて多額の寄付を彼に限らず、引退馬たちが余生を過ごすための
支援金に使われ、大いに貢献していたナイスネイチャでした。
また、ブロンズコレクターと呼ばれながらも人々に愛さていたナイスネイチャは
「幼少期は瘦せっぽちな馬だったが、(母親の)ウラカワミユキが群れの絶対的な
ボスだったため、その母について歩く自分も強いと勘違いしているような仔馬だった」といった微笑ましい幼少期のエピソードを残しています。
そのような彼も、今年5月30日に35歳で大往生を遂げました。
人々の記憶にも記録にも残ったナイスネイチャ、
いつまでも競馬関係者及びファンの心に残り続けることでしょう。
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アヴェノチャンスさん
YOSHIさん、いいね!ありがとうございます。
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YOSHIさんがいいね!と言っています。
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アヴェノチャンスさん
kannapapaさん、ありがとうございます。
このような面白い企画は、定期的に行ってほしいですね。 -
kannapapaさんがいいね!と言っています。
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こんにちは。
私も真っ先にナイスネイチャを思いつきました。
強かったですけど、突き抜ける所まではいかなかったのは残念ですね。
面白い企画でした。 -
アヴェノチャンスさん
チャーミーグリーンさん、ありがとうございます。
ナイスネイチャのことは、以前のチャーミーグリーンさんの日記で
知り、気にかけていたところに、今回の特集があって、
実にタイムリーでした。
どうぞ、ナイスネイチャとの良い思い出を、大切にしてください。 -
一昨年、ツテがありコロナ渦で通常牧場見学が禁止の中、浦河渡辺牧場さんでナイスネイチャに会ってきました。いい思い出になりました。3位ツインターボ、ホワイトストーン、この辺りの馬が活躍した時代まで、競馬に夢中になってました。ツインターボって、強烈な逃げ馬で脚質と馬名が似合っていて、当時いい名前だなxと思いました。
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チャーミーグリーンさんがいいね!と言っています。
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アヴェノチャンスさん
スイートデルマー90さん、ありがとうございます。
ステイゴールドは、海外G1の優勝馬なので、この企画では対象外でした。
サウンズオブアースは、読者が選んだ中では、7位でした。
まあ、名バイプレーヤーと思う馬は、人それぞれであって、
たいへん興味深いものがありました。 -
ナイスネイチャはトウカイテイオーと同世代だったこともあってよく覚えていますし、馬券でもお世話になりました。
ベスト3にステイゴールドの名前がないのは案外でした。
近年ではサウンズオブアースかな〜。
その前だとエアシェイディ。
メイショドトゥもテイエムオペラオーに幾度もG1制覇を阻まれました。
トゥザワールド、トゥザグローリーは兄弟で名バイプレーヤーでしたね〜。。
有馬記念の名バイプレーヤーは記憶に残るものです。(で、馬券でも助かります!)