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2017/01/01 14:08
メイセイオペラ雑感[序章]
生まれてからずっと浅草在住の私にとって岩手の地は,両親・祖父母の代に遡っても無縁である。しかし昨年のメイセイオペラ逝去は非常に大きな出来事であった。正直,競馬へ対する興味を減退させる位であった。なぜ無縁の地である英雄の死に,その様な心的現象を生じたのか…
そもそも岩手競馬(水沢を含む場合には「みちのく競馬」が愛称の様だが,便宜上,自治体名として)との最初の出会いは,スイフトセイダイの出現である。バブル景気崩壊前の日本競馬は現況ほどの「格差」は存在せず,各地に「怪物」や「英雄」が存在した。勿論,それら全てがその名の通りでは無く玉石混交ではあったものの,確実に「玉」も存在していた。スイフトセイダイも「玉」の一頭であろう。'89年,'90年と東京大賞典では2年連続の2着,'91年中山競馬場のオールカマーに姿を表した時は既に下降線に入ってしまっていたのか「芝馬」ジョージモナークの5着に敗れ,更に札幌競馬場で行われたブリーダーズゴールドカップでは2着とは言えカミノクレッセに2.1秒の大差で敗れてしまった。しかし東京大賞典で敗れた馬が,ロジータとダイコウガルダンでありまた前述の様にカミノクレッセには大敗したもののその他の馬を抑えた事から,少なくとも「全国レベル」の馬であった事に間違いないであろう。そしてその後を継いだのがトウケイニセイである。
トウケイニセイの父はトウケイホープと言う今ではすっかり埋もれてしまった種牡馬であるが,トウケイニセイ誕生にはそれこそメジロアサマ-ティターン-マックイーンの様な物語が存在する。その詳細は別に譲るとしてトウケイニセイの足跡だが,これはスイフトセイダイ以上に困難を極めた。とにかく脚部不安の連続であり,旧6歳までかけて18連勝を達成した。しかし脚部不安から遠征は一切行えずそのまま「一地方の大将」で終わりを迎えそうになった’95年,中央地方の交流が始まった。そしてまだ水沢で行われていた南部杯にライブリマントらを迎えて,ようやくそのベールの向こうが明かされる事になった。だが既に旧9歳となった身には地元の期待に応える事が出来ず,高崎のヨシノキングにさえ遅れを取り3着に敗れてしまい,同年暮れの桐花賞優勝後,引退となった。その翌年にデビューしたのがメイセイオペラである。
了
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広瀬北斗さん
破天荒にゃんさん,いいね!,有難うございました。
まあ色々とあった馬なので(苦笑)… -
広瀬北斗さん
くーこさん,いいね!,有難うございました。
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色々と詳しいですね〜〜
名声オペラ号 -
破天荒,発弌にゃんさんがいいね!と言っています。
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くーこさんがいいね!と言っています。
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広瀬北斗さん
馬之助さん,それでは大井競馬場での開門ダッシュを!
まあ,サンデーサイレンスの種牡馬入り前の競馬ですからね…菅原勲騎手はメイセイオペラよりもトウケイニセイの方を一時期までは高く買っていた様ですが。
アジュティケーティングも公営レベルを引き上げたかもしれませんが,流石にサンデーサイレンスとはレベルが違いますからね。ただ今後はサンデーサイレンス系のダート種牡馬が公営にも行き渡った時に,この格差が少しは狭まるか,注目したいです。 -
馬之助さん
広瀬北斗さん
お早うございます。
西宮神社の福男、鈍足のワタクシにはムリですね〜
o( _ _ )o
岩手競馬のスイフトセイダイ、懐かしいです。
当時の東京大賞典は、交流競走では無かったので一旦大井へ移籍してからの出走でした。的場騎手渾身のムチが思い出深いです…
トウケイニセイは、「地方競馬タコツボ時代最後の名馬」なんて言われてましたが全国レベルでどれだけ通用したのか観たかった馬ですね。
(*^-^*) -
広瀬北斗さん
とんとんきさん,いいね!,有難うございました。
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とんとんきさんがいいね!と言っています。
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広瀬北斗さん
まつりさん,いいね!,有難うございました。
いえいえ,本当に徒然なるままです(笑)。