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2017/01/02 08:19
メイセイオペラ雑感[その1]
'96年にデビューしたメイセイオペラだが,「そこそこ」の成績で旧3歳時を終了した。また主戦騎手も菅原勲騎手では無かった。当然の事ながらまだ全国的に大きく取り上げられる事も無く,私が当時の地方競馬情報を取得する手段として「全国競馬便り」であったが,それでの扱いも小さかったと思う。
話はそれるが「全国競馬便り」が放送打ち切りに際して対局的立場におられるような方(反目と言う意味では全く無い),合田直弘氏が反対されていたのを下記でつい先ほど知った。
http://d.hatena.ne.jp/milkyhorse/20051022/p1
それはともかく少なくとも「全国競馬便り」でメイセイオペラを取り上げられたのは,ダイヤモンドカップの勝利後または東北ダービーへの展望の時ではなかろうか?そしてそれらの連勝後,不来方賞も勝利して主戦騎手が菅原勲騎手となったあたりから,「トウケイニセイの後継者」と目される様になったのかと思う。しかしトウケイニセイが脚部不安で悩まされ続けた現役時代と同様に,メイセイオペラも頭蓋骨の骨折と言うとてつもないアクシデントに遭遇してしまった。それは10/4のユニコーンS直前の事であった。ユニコーンSの回避は勿論,それどころか最悪引退さえも囁かれた状態であった。
こんなメイセイオペラ,と言うより岩手競馬に対していつの間にか大きな関心を持つ様に私だが,今思い返せばどこに惹かれたのだろうか?冒頭に記した通り,岩手県との接点は元々無く,また競馬そのものもスイフトセイダイを見た程度である。それにも関わらず…
以下,私事で大変恐縮するが少々記す。修士課程一年の夏の事である。ふと二年後の自分を想像して「今と同じ位,自由にできる時間は来るのだろうか?」と思い立ち,青春18切符を用いて日本全国の競馬場巡りを敢行した。そこには市街地にまだあった盛岡競馬場も含まれた。そしてその時に購入した「岩手ダービー」と言う雑誌に書かれていたSG時代,TM対決に惹かれ,就職後も今度は繋温泉湖山荘付きで南部杯観戦を行う等,岩手競馬との親密度は増して行った。そしておそらく一番大きな理由は,本流・王道と逸れた道を行く自分を,勝手に投影していた事であろう。
了
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広瀬北斗さん
ビームさん,いいね!,有難うございました。
まあ前世紀(20世紀)の馬ですからね(笑)。 -
ビームさん
メイセイオペラ名前聞いたことあります。
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ビームさんがいいね!と言っています。
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広瀬北斗さん
破天荒にゃんさん,いいね!,有難うございました。
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広瀬北斗さん
くーこさん,いいね!,有難うございました。
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破天荒,発弌にゃんさんがいいね!と言っています。
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くーこさんがいいね!と言っています。
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広瀬北斗さん
まつりさん,いいね!,有難うございました。
いやー,自由な道と言うよりも,支流・亜流・邪道を歩んでいるみたいなものです… -
広瀬北斗さん
erikaさん,いいね!,有難うございました。
一応,クライマックスはもう少々先になります(笑)。 -
まつりさん
本流・王道と逸れた道ー
自由ほど難しい道な気がします。
若輩者ですがm(_ _)m