1642件のひとこと日記があります。
2015/04/27 14:59
調騎分離
四半世紀以上、競馬を見ているけど、調騎分離という言葉は初めて知った。
東京優駿の歴代優勝騎手を見ていたら、調教師も兼ねている人が2人いた。
調騎分離の必要性がイマイチよくわからないけど、兼業も可能じゃないだろうか。もちろん、管理馬の数は、専業調教師より少なくなるだろうけど。
調騎分離
現在、中央競馬及び地方競馬では騎手免許と調教師免許を同時に持つことはできない。つまり、調教師が自分の管理する競走馬に乗ってレースに出走することは現行の規定では不可能である。
1930年代以前は「調教師兼騎手」は珍しい存在ではなかった。一例を挙げると大久保房松などは、管理馬に騎乗して日本ダービー制覇を達成している(1933年、カブトヤマ)。調教師と騎手の業務が分離されるようになったのは、1937年に日本競馬会競馬施行規定が規定されてからである。ただしこの規定は、日本競馬会発足以前に免許を受けていた調教師(騎手)に対しては、1942年12月31日までは猶予期間とされたため、猶予期間中は引き続き調教師が騎手としても騎乗することができた。
なお、戦後の一時期も調教師が騎手を兼務することが可能であったが、1948年より調騎分離が厳格に適用されることになり、調教師と騎手の兼務が不可能となり、現在に至っている。
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スダピンボールさん
ありがとうございます。
古い文献などで調べられるといいんですけどね…。 -
ふくすけさん
何故「分離」に至ったかの詳細は知らないのですが、一般論で考えても、スダピンボールさんの書かれている通り、管理出来る馬の数に限界が有るのと、兼業ではどっち付かずになるのではないでしょうか。止めたということは具体的なクレームなり、事件が有ったかもしれませんしね。
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スダピンボールさん
なぜ分離が必要なのか、ふくすけさんはご存知ですか?
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ふくすけさん
実際は大久保房松、中島時一、中村広の三人ですね。本文を読んで'38年のダービー馬スゲヌマの調教師が、39年の天皇賞(帝室御賞典)では小山内重蔵に代わった理由が分かりました(他に理由が有ったかもしれませんが)。