1642件のひとこと日記があります。
2011/11/16 12:35
今の人に、なかじまひろゆきといえば、西武
今の人に、なかじまひろゆきといえば、西武の中島裕之なんだろうけど、競馬ファンにとっては中島啓之なんだろうと思う。
安田隆、大西、楠、田面木、小島貞、大崎といったあたりのベテラン騎手のG1(初)制覇ってなんかホロっとくるものがあるけど、そういった場面、今後は少なくなるのかな。
競馬を知ったのがトウカイテイオーの年だったので、田原の位置づけも微妙だった。
ホワイトアローの田原というイメージ。
ただ、差し馬だったコガネパワーで、人気を背負って逃げて勝つ(中スポ賞)など、存在感はあった。もしトウカイテイオー以降のG1勝ちがなければ、過去の人、昭和の人ということで片づけられていたのだと思う。
ヤマニンの土井さんが「田原? あれは僕のおもちゃだよ」って言ったことがあるとかないとか。
とどまることを知らない角居さんと違って、松田国先生は、今年やや不調。社台が手元に持っているであろう香盤で、かなりさげられちゃっていたりして。
-
スダピンボールさん
ホットスタッフさん
やっぱり当時を知る人としては、ダービーで気持ち良く逃げていたのに、直後に亡くなったのには驚いたと思います。
当代のミスターレオ(馬に居そう)が中島啓之と同じ名前なのに、今気が付きました。
スダピンボールにはよく差し切られました。
宮島連合さん
大崎は新潟事件がありましたからね。なんか有耶無耶になってしまった事件だったと思いますが。
橋口先生にはお世話になりっぱなしで…というインタビューが印象的でした。
私も一時、田原に心酔していました。サルノキングがやはりターニングポイントだったんですね。伊藤師、中村好師あたりと決別したあたりよりもそちらなんですねぇ。
田原には、岡部にも政人にも河内にも豊にもない魅力がありましたよね。福永父はいざ知らず。 -
宮島連合さん
中島啓之もいまや知ってる人の方が少なそうですね。
寺山修司によるともっとも万券だか大穴を出す騎手と書いてあったと思うけど、私的には結構堅実な騎乗のイメージが強いです。
人格者という意味でちょっと右に出る存在はいない方だったようです。
大崎のレッツゴーターキンが感動的なのはちょっと別の意味でですね。(ご存知でしたら失礼ですが、他の方とちょっと意味合いが違うので確認の意味で→干されてたということで)
田原も、ちょっと気の毒だったかな。サルノキング事件がなかったら河内より随分先を行っていて、武豊も追い越すのに時間がかかったかもしれませんね。(天才っていうのは武より田原の方と今でも思ってますよ) -
ホットスタッフさん
私は中島啓之も中島裕之も記憶に残る人物になりますね。
私が競馬を観はじめたころ、トウショウサミットに乗ってNHK杯を勝ったのが中島啓之騎手でした。ダービーでは惨敗してしまって、その直後にガンで亡くなってビックリしたのを憶えています。つい先日、弟の中島敏文師も廃業されましたね。
さて、西武の中島裕之は入団会見で当時の東尾監督に「2,3年で1軍へ行くので待ってて下さい」と発言。結局、東尾監督はその年限りで退任。ドラフト5位指名も担当スカウトは「松井稼頭央の後継を見つけた」とワクワクして高校時代の彼を見ていたとか。その「なかじま君」もいよいよアメリカ進出!? 動向を注目しています。
あ、スダピンボールってけっこう強いですよね 笑