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2017/02/24 10:00
「坂路の申し子」死す
ミホノブルボンで一番思い出に残っているのは、ダービーでも皐月賞でも3冠の夢破れた菊花賞でもなく、中京(改修前ですから超小回りの)1000mの新馬戦で後方からもの凄い脚で追い込んで勝ったレースと、2戦目の府中の500万平場1600m(ラスト2Fを11秒7−11秒9、6馬身差で圧勝)の2戦です。
新馬を見て、「何か凄い馬が出て来たなぁ〜」と注目し、府中の平場(このレースは府中でナマで見ていました)を見て、「これは今年のクラシック候補だ!!」と仲間内で異常に盛り上がった事を憶えています。
父マグニチュードは、父が名馬ミルリーフ、母が名牝アルテスロワイアル(その父セントクレスピン)と言う名血ですが、6戦0勝の未勝利馬、母系は殆どブラックタイプが見られず、ほぼ無名(アラブ種牡馬との配合例すらある)の超マイナー血統と言う、この様な超名馬が誕生する背景は殆ど感じられない、突然変異とでも言うべき馬がブルボンでした。
この馬がここまでの名馬に成長したのは、超スパルタ調教で有名だった戸山為夫師の手腕が何よりも大きかった事が定説になっています。
当時は「坂路調教」「インターバル調教」と言う言葉自体が珍しい時代でしたから、今から思うと、ちょっと考えられない時代だったんですよねぇ〜。
今頃、天国で、戸山師や全てのレースに騎乗した小島貞博師とブルボンが久しぶりの再会を果たしている事でしょう。
どんな話をしているのでしょうか。