1584件のひとこと日記があります。
2018/02/21 15:47
「猫と太は呼んでも来ない」その2
小島太師が70年台後半から80年台にかけて競馬界を牽引していたジョッキーの一人だった証拠は、
77年ヒシスピード
78年サクラショウリ(皐月賞3着、ダービー1着、菊花賞5着)
79年ビンゴガルー(皐月賞1着、ダービー4着、菊花賞3着)
80年サクラシンゲキ(ダービー4着)
81年サンエイソロン(ダービー2着、菊花賞2着)
82年アズマハンター(ダービー3着)
・・・と、毎年の様にクラシック有力馬に騎乗していた事です。
(このあとも88年にサクラチヨノオーでダービーを制していますし、サクラユタカオーが骨折しなければ、皐月賞&ダービーでミホシンザンといい勝負だったでしょう。)
中には、人気を背負って敗れた馬も結構いますが、それはそれで話題を提供しました。
この77年〜82年頃のクラシックは太ジョッキーを中心に回っていた様な気がします。
勝ったレースより負けたレースの方が、何故か(?)記憶に残っていますが(笑)
一番記憶に濃いのは、直線、叩いて叩いて追って追ってカツトップエースをハナ差まで追い詰めたサンエイソロンの81年のダービーかなぁ?
あのレースは小島太の真骨頂だったと思います。
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アウロラさん
今のスタイルとは違ってましたよね(^^)今は炎上とかですもんね(^_^;)競馬自体も少しづつ変わってきてるんですな〜周りの牧場や風景も40年でえらい変わりましたそういえば(;^_^A
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アウロラさん
昔は皆、個性的でしたね。
その最たる者が吉永正人ジョッキーだったと思います。
でも、3冠騎手ですから!!
太ジョッキーは、騎乗フォームはとても美しく正統派だったと思いますが、騎乗自体は「ファインプレー」と「ボーンヘッド」が半々だったでしょうか。
今なら、ネットで散々叩かれていた事でしょう(笑) -
アウロラさん
たしかに小さい頃はよくテレビ放送で見ました(^_^)週末は競馬競馬でしたから地域柄(~_~;)騎手も個性的な乗りかたする人が多かったような気が(^.^)
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セキゴンさん
仰る通りですね。
でも、1000勝ジョッキーで調教師になった人では、野平裕二師を抜いて勝ち星歴代1位なんだそうです。
調教師としてもそれなりの実績を上げたんですね。
でも、我々にとっては、小島太と言うとやはり「ジョッキー」ですよね。 -
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セキゴンさん
ジャッキー時代の印象が強いので調教師を引退、なんてピンときません。
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