1584件のひとこと日記があります。
2018/03/01 16:01
大種牡馬エルシド
テスコボーイで思い出しましたが、テスコボーイ&トウショウボーイの親仔は日高軽種馬農協所属の種牡馬だったため、日高の組合員に格安の種付料で配合権が提供され、中小生産者の「お助けボーイ」として崇め奉られたのは有名ですが、実はもう1頭、同様に、「中小生産者の救世主」として崇拝された種牡馬がいました。
エルシド(アングロアラブ) 1962仏国産(父 アア Nithard Teddy系)
仏のサラ系大種牡馬であるTeddy直系の大種牡馬です。
仏で19戦11勝、多くの重賞を制覇し、1967年に輸入されると、アラブ界の大種牡馬スカレーや超名馬ホクトライデン、ムツミマサルやキンカイチフジ、ヨシノスカレー等、枚挙にいとまがないアラブ界の名馬を次々に送り出し、アングロアラブ界の大種牡馬として君臨しました。
軽種馬農協所属の種馬だった事により、上述テスコボーイ&トウショウボーイ同様、その産駒は日高のセリに上場の義務が課せられていたために、日高市場の活性化に大いなる貢献をしたとされています。
その貢献を讃えるため、農協内にはエルシドの銅像が建てられた程でした。
私は学生時代、日高地方の牧場をブラブラと見学して回った事がありましたが、当時の静内(現在の新ひだか町)の種牡場でエルシドの晩年に会った事を思い出します。
「これがあのエルシドか!!」と感慨無量で言葉が出ませんでした。
凄く大人しい馬だった記憶があります。
エルシド産駒で一番記憶に残っているのは、何と言っても南関東のアラブ3冠馬ホクトライデンで、彼はアラブ界では無敵を誇り、サラ相手でもオープンの新春杯と言うレースでトップハンデ59kgを負担し楽勝、2着馬(当然サラ)の斤量は何と50kg!!
同じくオープン特別のこととい特別では名馬チュウオキャプテン(3冠馬ゴールデンリボーの兄)相手にトップハンデの60kgで2着(チュウオキャプテンは55kg)と、サラブレッド相手でも全く引けを取らない強さでした。
エルシド系は種牡馬としても一大勢力を作り上げ、特にスカレー〜キタノトウザイ(その母は「アラブの魔女」イナリトウザイ)親仔は幾多の名馬を送り出した父系として有名です。
まだ、あの銅像は健在なのかなぁ?
また、その雄姿を是非拝みたいものです。
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アウロラさん
何処にでも行ってるんですね(((^_^;)本桐牧場さん今は姉妹で経営してます。レゴリスの弟一歳(父サウスヴィグラス)セリに向けて育成してもらってます(^o^)何回もオファーありまして馬体には自信ありますが体高がどこまで伸びるかなんですが(^-^;トキノミノルは三石の誇りですからね(^.^)本桐牧場近年重賞勝ってますから凄いですよね(^_^)
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アウロラさん
そうですか、小学生の同級生ですか( ´ ▽ ` )ノ
三石と言えば、何と言っても「幻の馬」トキノミノルを生産した本桐牧場さんが有名ですね。
本桐さんも確かお邪魔したよなぁ・・・
フジノマッケンオーがまだ走っていた頃でしたが。。。
遠い昔です(´ε`;) -
アウロラさん
Tourさんは何でも知ってますね(^-^;大塚牧場の長男とは同級生でよく遊んでいたんですが小学生の時は(^^)三石の老舗のサラブレッド牧場は殆んどいなくなり寂しい限りです(>_<)アラブの響きが懐かしく感じる投稿でした(^.^)
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アウロラさん
昭和には中小生産者の皆さんは、リスクの多いサラブレッドよりもアラブを主力に生産されていたところも多かった様に思います。
セイユウは伝説の名馬ですね。
アングロアラブでありながらセントライト記念に勝利し、後の菊花賞馬を破った怪物としても有名です。
種牡馬としても大成功を収め、幾多の名馬を輩出しました。
確かに三石の大塚牧場で長年繋養されていたと思います。 -
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アウロラさん
おばんです(^-^)/アラブと言えば門別・三石が生産頭数多かったし最後まで生産していたような記憶があります(^^)軽種馬生産は浦河・静内・新冠が先んじていて三石は減反政策で素人でも比較的扱いやすく丈夫で繁殖導入が安価なアラブ系を生産するようになったらしいです。アラブ系は繁殖の血統がサラブレッドより遥かに確実に遺伝し産駒は成績が安定していたので続けて買う馬主さんが多かったので三石の経済にも寄与していたと思います。僕はアラブの種馬と言えば近くにいたセイユウとかいう種馬よく聞きました。サラブレッドがアラブのように丈夫で遺伝力強かったら今の勢力図はどうなっていたでしょうか?(^-^;
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