1584件のひとこと日記があります。
2020/02/09 15:53
「剛腕」郷原
私が競馬を見始めた頃のトップ・ジョッキーで、1974年・75年・78年の関東リーディング・ジョッキー、79年は全国リーディング・ジョッキーに輝き、「剛腕・郷原」の名は全ての競馬ファンの間に深く浸透しました。
(74・75・78年度も西に「天才」福永洋一と言う存在があったため関東リーディングのみでしたが、これは相手が余りにも悪かった。)
郷原ジョッキーは実に記憶に残る名騎乗が多く、印象深いレースが沢山ありました。
私が最も記憶に残っているレースは、「短距離血脈グスタフの仔だから3000はキツイだろう」と言われていたプレストウコウで鮮やかな差し切り勝ちを演じた菊花賞と、同じプレストウコウで鞍ズレで競走中止になった淀の天皇賞(この時の郷原ジョッキーの無念の表情は忘れられません)、非常に珍しい「カンパイ」でレースがやり直しとなって、引っ掛かり気味に先行しながら3200をギリギリまで逃げ粘った府中の天皇賞の3つです。
これら以外も、あのキタノカチドキを気合抜群に競り落としたイチフジイサミの淀の天皇賞や、トウショウボーイがスタートで躓いて出遅れたとは言え、あの天馬(2000以下の距離ではこのレース以外全勝)を退けた札幌記念のグレートセイカン、ダービートライアルNHK杯で7馬身差圧勝の圧倒的1番人気モンテプリンスをそれこそ「剛腕」で捻じ伏せたオペックホースのダービー等が、まさに「郷原だから勝てた、郷原じゃなければ勝てなかった」と言われるレースの代表的な例です。
好敵手だった加賀ジョッキー共々、「勝負に対する執念」を強く感じる名騎手でした。
昭和の競馬を代表するホースマンがまた一人、天国へ旅立ちました。
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スダピンボールさん
プレストウコウが菊花賞を勝ったのは1977年、実に43年前!!なんですね。
成程、郷原ジョッキーが亡くなっても、このサイトあたりではあまり反響が無いのも無理はないですか・・・
でも競馬好きなら、昔の名馬・名騎手・功績の大なるホースマン位は後追いでも勉強して欲しいものですが、今のファンには無理かなぁ..... -
スダピンボールさんがいいね!と言っています。