1584件のひとこと日記があります。
2022/04/09 23:50
ニホンピロの名馬達
「二ホンピロ」の冠名で有名な小林百太郎氏が亡くなりました。
百太郎氏と言えば、何と言っても「短・中距離界伝説のスーパースター」ニホンピロウイナーのオーナーとして余りにも有名ですが、ニホンピローエース・ニホンピロムーテーのオーナー小林保氏は百太郎氏のお兄さんだった様ですね。
「ニホンピローエース」
保氏時代の初期の冠名は、「二ホンピロ」ではなく「二ホンピロー」でした。
保氏の創設した会社は「日本ピローブロック株式会社」でしたから、「二ホンピロー」が正しい(?)のでしょう。
文字数の制約から、6文字の「二ホンピロー」から5文字の「二ホンピロ」に変更した様ですね。
二ホンピローエース
寺山の大好きだった名馬。
寺山曰く、
「私は素晴らしい金髪を1人と1頭知っている。1人はマリリン・モンローで、1頭はニホンピローエースだ。」
「彼は、栗毛と言うよりもむしろレモン色に近く、その馬体は黄金の様に輝いていた。」
寺山は、ダービーでエースの単勝を10万持っていたそうです。
またひとつ、昭和が消え去りました…
-
スダピンボールさん
バンブトンオールとホウスウセダンですね。
あの頃はセダン産駒の最盛期だったなぁ〜。
セダンは本当に良い種牡馬でした。
善哉御大もセダンを購入したかった様です。(競馬会に競り負けた様ですが。)
セダンが社台ファーム入りしていたら、ノーザンテーストの登場を待たず、もっと早く社台黄金時代が来ていたかもしれません。 -
スダピンボールさん
ニホンピロセダンに、タカノカチドキ、スズパレードなんかもいるんですね。
ニホンピロセダン、なぜ菊花賞を回避したのか…。
今、巨泉の本を見たら「ニホンピロセダンを本命に決めていた」旨、あります。
菊花賞、セダン産駒が2頭も掲示板に載ってますね。 -
スダピンボールさん
ニホンピロセダンは、あのキタノカチドキと同じ服部厩舎のステーブル・メイトですが、4歳時には距離が伸びたらカチドキよりも強くなるだろう(服部師 談)と言われていた程の素質馬でした。
秋に、神戸新聞杯・京都新聞杯共にカチドキの2着になった時には、「菊こそはニホンピロセダンのものだろう」と言われていたのですが…
菊花賞が最大のチャンスでしたね。
カチドキが全く不向きの距離ながらその絶対能力でギリギリ勝ち切りましたが、セダンが出ていたら、おそらくセダンが勝ったと思われます。
そう言えば、二ホンピロセダンは小林保氏ではなく百太郎氏がオーナーでした。
同い年の二ホンピロスイセイ(父ハードリドン)は保氏の馬だったのですが。
セダンは、百太郎氏の最初期の活躍馬だったと思われます。
懐かしい話です… -
スダピンボールさん
意外と、マーチ、ブレイブが成功したくらいで、スコアー、カラカ、ナーリ―あたりの伊藤雄二は、ずっこけてますね。
関東馬が見当たりませんが、これだけの大馬主でこれだけ関西に偏るのは珍しいのでしょうかね。
イットーやキタノカチドキが相手とはいえ、ニホンピロセダンが重賞に勝ってないのは意外ですね。昔の本によく出てくる名前なのに。 -
スイートデルマー90さんがいいね!と言っています。