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2022/08/11 18:24
名牝の配合相手(その1)
昭和の昔は、シンジケートや牧場の所属地区の関係(縄張り意識?)、種牡馬自体の種付け頭数が現在よりも圧倒的に少なかった(50〜80頭)事、有力種牡馬が組合系やJRA関連の組織に多かった(組合やJRAがらみでないと、高額な輸入種牡馬を購入する事が難しかった)等の理由により、名牝だからと言って必ずしも優秀な種牡馬に配合されるとは限らないケースが多く見られました。
中には、「えっ?あの名牝にこの種馬を付けるの(;゚ Д゚) …?! 」と言う驚く様なケースもあり、その多くはオーナーがらみの背景(自分の所有する種馬を優先)が原因でした。
その結果、あまたの名牝がその短い繁殖生活を不満足なまま終える事も多くあった様に思います。
どの時期からでしょうか、具体的にはアイノクレスピンやアグネスレディー辺りから海外の超一流種牡馬を相手に選択するケースが出てきました。
海外の場合、金さえ出せば何とかなりますからね。
ニジンスキーやミルリーフと言った超一流の歴史的名馬がその相手に選ばれました。
ハギノトップレディのグランディもそうでしたね。
結果的にはあまり(と言うか殆ど)成功しなかったですが、少なくともオーナーサイドやファンにも「もっと良い種馬を配合しておけば…」と言う後悔は残らなかったと思います。
社台Gがノーザンテースト、トニービンやディクタス等の輸入種牡馬で成功を収め、サンデーサイレンスと言う「神馬」で決定的な大成功を手にするに至って、「とにかくまずはサンデーを配合すればOK」と言う有無を言わせぬ状況になり、わざわざ海外へ出向く必要がなくなりました。
SSの死後もその仔のディープが大種牡馬として君臨したため、「まずはディープ」と言う風潮が当たり前となり、そしてその成果も十二分なものだったと思います。
キングカメハメハと言うディープに勝るとも劣らない大種牡馬も同時期に存在していましたしね。(続く)
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興味深く拝見させていただきました。
確かにサンデーサイレンスや
ディープインパクトを種付しておけば
OKだったかもしれませんが
どちらも代表産駒のほとんどは
輸入繁殖牝馬の産駒です。
一方、キングカメハメハの幸運は
日本に「サンデーサイレンス牝馬」という
最良の配合相手が
豊富に存在していたことに尽きるかと。
いくら種牡馬が優れていても
それだけで成功はないと思います。
ノーザンFは
優良な繁殖牝馬を求めて
海外に出向いていたからこそ
今の成功があるように思います。
(配合のセンスもありますし…)
社台Fは
サンデーサイレンスでの成功後、
その後継種牡馬、繁殖牝馬の
配合の失敗で行き詰まった印象。
昭和の昔は今のような「配合」という発想は
ほとんどなかったでしょうね。
日本(≒日高)の馬産は不味い料理と同じかと。
いくらいい素材でも
味付け(=配合)がめちゃくちゃです。 -
スイートデルマー90さんがいいね!と言っています。
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セキゴンさんがいいね!と言っています。