1584件のひとこと日記があります。
2023/05/21 17:06
オークス最大着差
ユーガJもインタビューで言ってましたが、「今後の事を考えて最後はしっかり追った」との事。
本気で追えば、この位の差はあると言う事ですね。
さて、オークスの最大着差はどの位なんでしょうか?
・1位 トキツカゼ(1947年) 大差
・2位 クリフジ(1943年) 10馬身
・3位 ヒロヨシ(1966年) 9馬身(2着はメジロボサツ)
・4位 テスコガビー(1975年) 8馬身(2着はソシアルトウショウ)
ヒロヨシはちょっと置いても、トキツカゼ、クリフジ、テスコガビーとやはりレジェンドの名前が並びます。
戦前・戦後の2頭は相手の問題もありますので、やはり何と言ってもテスコガビーでしょう。
桜花賞 大差、オークス 8馬身
やはり当時としてはモノが違い過ぎた、格が違い過ぎたと言ったところでしょうか。
彼女の早世は本当に悔やまれます。
我が国競馬史上、最悪の痛恨事・悲劇だったのではないでしょうか。
正に「日本のラフィアン」でしたね。
もし無事ならどんな仔が誕生したのでしょうか?
歴史が変わっていたのかもしれません。
-
(続き)したし。御大は実馬の世話をしていたそうですから。)
まァ、ラフィアンの場合は競走中の事故でしたからまだ諦めもつきますが、ガビーの場合は人災だったなぁ〜。 -
かぎしっぽさん
コメントありがとうございます!!
テスコガビーのガビーはオーナーの近所の子ガブリエルちゃんから取ったそうです。
確かオークスの時の口取りにこの子も参加していました。
しかしながら、結果的にはこのオーナーが曲者(?)で、通常なら繁殖入りさせるべきところをかなり強引に復帰させ、外部の牧場での調教中に心臓麻痺で死亡させてしまいました…
ガビーが現代の様に社台グループの持ち馬だったら、当然繁殖入りしていたでしょうし、ノーザンテーストにも配合していたでしょうね。
残念でなりません。
あの頃は社台グループもどん底で、お金がなかったからなぁ〜。
今なら相当の巨額を提示して、必ず手に入れていたでしょうが。
(オーナーは経済的に困窮していたらしいので。)
競馬の世界が変わっていましたね、きっと。
米国のラフィアンも早世しなかったら、凄い仔を出した事でしょうが。
(岡田繁幸御大もそう言っていま -
かぎしっぽさん
テスコガビtーのガビーは確かオーナーのお知り合いのお子さんの名前からでしたか?
競馬に興味を持って見る様になった頃に応援していたランニングフリーの主戦・菅原泰夫騎手がカブラヤオーと牡馬・牝馬クラシックを総なめしたと優駿で読み、その時に書いてあったと思います。
菅原泰夫騎手の引退時は東京競馬場に見に行きました。
懐かしいです(^o^) -
かぎしっぽさんがファイト!と言っています。
-
かぎしっぽさんがいいね!と言っています。