1584件のひとこと日記があります。
2012/11/05 15:18
エリザベス女王杯とビクトリアカップ
「ヴィクトリアマイル」ではありません。
私が競馬を見始めた頃に、3才牝馬(当時は4才牝馬)の秋の大レースとして創設されたのが「ビクトリアカップ」でした。
丁度、桜花賞馬ニットウチドリ(このレースを勝った後、有馬記念でストロングエイトとともに大穴をあけた)やオークス馬トウコウエルザが勝った頃でしたね、私が見始めたのは。
トウコウエルザは、この馬1頭のみで関西に乗り込んでの勝利だったな、確か。
今でも、秋華賞やエリザベス女王杯の季節になると、ビクトリアカップの事が思い起こされます。
ちなみに、京都大賞典も、昔は「ハリウッドターフクラブ賞」って言ったんですよ。
タニノチカラが最後の勝馬だったよなぁ・・・
アメリカは(歴史の無い国らしく?)ころころ大レースの名称を変えますが、日本はその辺りは反面教師として、守るべき処は守って欲しいものです。
もちろん、変えるべき処はどんどん変えて行くべきですが。
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ふくすけさん
コメントありがとうございます。
ヤング・ファンはもとより、そこそこキャリアのあるファンの方でも、ビクトリアカップの事をご存知の方は少ない様です。
貴兄の仰る通り、エリザベス女王杯が創設された時にもうちょっと競馬会の工夫があれば、ビクトリアカップが歴史に埋没しないでも済んだかもしれませんね。 -
ふくすけさん
かしなくてもいいですよ(フランスの方が後でしたっけ?)
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ふくすけさん
お久しぶりにコメントさせて頂きます。2012年の今でも、私は怒ってます(`ε´)'76年のエリザベス女王杯は第一回でしたが、ビクトリアカップの名称変更なら第七回だったはずです。英王室からクレームでも来たのか、競馬会が勝手に自主規制したのか分かりませんが、お陰でクニノハナ、タイヨウコトブキ、アチーブスター、ニットウチドリ、トウコウエルザ、ヒダロマンの六頭は歴史の中に埋もれてしまっています。ビクトリアカップは馬券も全国発売だったはずで、十分G?格の大レースと認識しています。それに引き換え、今のエリザベス女王杯は2200mに距離短縮されて興ざめです。VaguelyNoble2007さんはハイセイコーのことを書かれていましたが、彼は宝塚記念圧勝しても、2400m以上のレースには一度も勝てなかった訳で、200mの差は大きい馬もいるということでしょう。ダービーの距離短縮したフランスの真似なん
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スダピンボールさんがいいね!と言っています。