1584件のひとこと日記があります。
2013/02/27 11:36
弥生賞メモリアル(ライアンとフウジン)
いよいよ弥生賞ですね。
弥生賞は重賞の中でも5指に入る程好きなレースです。
色々な路線で勝ち上がってきた優駿達の激突がそろそろ本格的に始まり、「本当にクラシック路線で勝負になる馬」が絞り込まれる・・・・・独特の緊張感に包まれたレースです。
過去の勝馬はいずれも名馬ばかりですが、私の一番思い出深いレースと言うと、第27回になるかなぁ・・・勝馬はメジロライアンですが、私にとっては、4着に敗れたアイネスフウジンのレースとして記憶に残っています。
朝日杯、トキノミノル記念と連勝して来たアイネスフウジンが1番人気、若き日の横山典弘J騎乗メジロライアンが2番人気。
当日の馬場状態は生憎の不良馬場で、レース前から若干波乱の雰囲気が漂っていました。
何が記憶に残っているのかと言うと、フウジンの中野Jの騎乗なんです。
重馬場があまり得意でないフウジンに、(将来を考慮し)極力負担を掛けない様に馬場の比較的良い四〜五分どころを選んで大事に大事に逃げたんですね。
「この馬の目標は先にある」「そこでも十分勝負になる馬だ」と言うメッセージがダイレクトに伝わって来て、中野Jのフウジンを思う気持ちが痛いほどわかりました。
このレースではライアンに差され敗退しましたが、大一番のダービーでは、ご存知の通りダービーレコードで感動の逃げ切り・・・
最近は、ジョッキーがちょっとレースでヘグると、即、乗り代わり(特に外国人ジョッキーに)になってしまいますが、まだこの当時は馬とジョッキーの関係が濃密で、それが後々大きなドラマを生んだものです。
アイネスフウジンのダービーはいろんな意味で感動的でしたし、本当に忘れ難いレースですが、その伏線はこの弥生賞あたりから張られていたんですね。
なかなか含蓄の深い思いがあります。
-
チームシルクロードさんがいいね!と言っています。
-
懐かしい馬名が沢山ありますね。
私も今でこそ土日は一日中競馬をグリーンチャンネルで見ていますが10年以上前は土日も仕事をしていたのでレースの思い出(画像として)が少ないですね。
タニノチカラが出走する時には休んで見ていた覚えがありますね。
それと、テンポイントも同様ですね。 -
ふくすけさん
私はコテコテの関西人ですが、社台RHやサンデーRの関西馬が勝っても「やった〜勝った、勝ったー」なんて思いませんよ。ウオッカやメイショウサムソンとは違いますから。ゴールドシップの小林オーナーも北海道の人ですから、時代の流れによっては関東馬だったかもしれません。ディープインパクトやオルフェーヴルも同じでしょう。
二年続けてスプリングS組がダービー勝っているので、今年は弥生賞組かもですね。勿論、覚醒していない秘密兵器ニシノアプレゲールも諦めてはいませんが、スダピンボールさんご推薦のテンシンランマンがダービー挑戦って、それは無いかθθ -
スダピンボールさん
ルドルフの年の岡部のお手馬にはアサカジャンボもいました。
私が初めて生中継を見たのはヤマニンミラクルが負けた弥生賞でした。
ミホノブルボン以降はスプリングS勝ち馬も頑張っていましたよね。
なんせ、スプリンターのナルシスノワールが勝ったくらいですから、一時はかなり格下感があったと思います。 -
春のクラシックで勝てなかったテンポイントの小川師が、「関西にも坂のあるコースを作らないと、府中や中山の坂のあるコースでは、関東馬に勝てなくなる」と訴えて栗東に坂路コースが出来た、と言うのは有名な話ですね。しかし、当時から考えると、これだけ関西馬全盛時代(と言うより、関東馬不振時代と言うべきか)がやって来るとは想像も出来ませんでしたね。
-
関西と言いますと、懐かしいのは「東上への最終便 京都4歳特別」なんて言うキャッチフレーズですね。昔は、交通事情もあって、トレセンからの直送なんてありませんでしたから、関西馬は府中か中山に必ず入厩してましたもんね。テンポイントなどは2月に東上して、トキノミノル記念からのスタートでした。
-
ふくすけさん
(続く)え方になって行ったみたいですね。勿論これは後付けの結果論でして、当時はそんなに深い意味は無かった感じは致します。
-
ふくすけさん
VaguelyNoble2007さんは関東の、私は関西の視点による相違だと思います。スプリングSとダービーを勝った関東馬はヒカルメイジ、ダイゴホマレ、メイズイの三頭のみで、もう50年近くダービー馬は出ていません。メイズイ以降の大レースの勝ち馬はワイルドモア、ハイセイコー、ミホシンザン、バブルガムフェローの4頭のみで、前の二頭は弥生賞も勝ってますからね。スプリングSを勝った関東馬はダービーでは用無しみたいな感じです。サンエイソロンのトライアル三冠なんて、ネタみたいなものでしょうね。
でも関西馬は9頭のダービー馬が出ている縁起の良いレースでして、きさらぎ賞よりダービーに直結するレースです。開催地が東京だろうが、オルフェーヴルの様に阪神だろうが関係無いのですよ。
弥生賞とスプリングSを両方勝ったのはハイセイコーが最後で、翌年のキタノカチドキの世代からどちらか1つの考 -
ふくすけさん
いらっしゃいませ!
小生がリアルタイムで見たのは、昭和49年の弥生賞(勝馬カーネルシンボリ)、スプリングS(勝馬キタノカチドキ)からですので、その当時は既に弥生賞優勢になっていたと記憶しています。
スプリングSはどうも「2番手決定戦」と言う感覚が強いんですよねぇ・・・あと、サルノキングの「逆噴射事件(?)」の印象もあるかなぁ? -
ふくすけさん
(続く)2000mになってレースの性格も変わってしまいましたね。でも、戦前のセントライトを除く六頭の三冠馬はシンザン、ナリタブライアン、オルフェーヴルのスプリングS組とミスターシービー、シンボリルドルフ、ディープインパクトの弥生賞組と互角の数字です。このテーマはいずれ日記に書くつもりでしたが、この場をお借り致しました。