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1584件のひとこと日記があります。

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2013/08/05 18:35

武豊J

容姿だけでなく、騎乗っぷりも親父さんの武邦彦師を彷彿とさせる様になって来たナァ、と感じるのは私だけでしょうか?
若い頃はあんまり共通点を感じなかったんですが・・・
競走馬だけでなく、ジョッキーも血は争えない、と言ったところなんですかね?

昨日の騎乗を見て、アチーブスターの桜花賞やトウショウボーイの宝塚記念を懐かしく思い出してしまいました。

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  • Vaguely Noble2007さん

    太Jは、洋一Jや武邦Jと(色々な意味で)対極にあった騎手でしたね。「猫と太は呼んでも来ない」なんて言われましたが、やっぱり華のある騎手ではありました。

    2013/08/08 10:14 ブロック

  • Vaguely Noble2007さん

    ふくすけさん
    私は当時(昭和40年代後半〜60年代)、最も印象深かった騎手は(良い意味でも悪い意味でも)やっぱり小島太Jですかね、何と言っても。
    「逃げる精密機械」トーヨーアサヒあたりから、サクラに初めての重賞制覇をもたらしたサクライワイ、化け物マルゼンスキーに立ち向かったヒシスピード、快速馬サクラシンゲキ辺りはとても印象深いですし、サクラショウリ〜ビンゴガルー〜サンエイソロン〜アズマハンター〜サクラチヨノオーあたりの馬での一連のクラシックレースでは、好騎乗も物議を醸した騎乗もありましたが、常に話題の中心だった感じがします。

    2013/08/08 10:11 ブロック

  • ふくすけさん

    (続き)手一杯いるでしょうね。
     

    2013/08/07 19:38 ブロック

  • ふくすけさん

     実は、私が競馬を見始めた頃、関西馬のマーチスの鞍上は関東の保田隆芳騎手(トウショウボーイの調教師)でしたが、私には違和感有りましてね。伊藤修司調教師のお父さんの勝吉さんが尾形門下だった関係らしいのですが、阪神三歳Sも関西に乗りに来てますからね(きさらぎ賞は武邦さんですが)。クラシックは皐月賞だけ勝てないから、それへの支援だったんでしょうね。私の親父より遥か年上でしたから、独特の雰囲気が有りました。対して、野平祐ちゃんは親父と同世代で、お嬢さんは私と年が近かったと思いますが、お父さんそっくりで可愛い人でした(今は良いおばちゃんでしょうが)。
     話は逸れましたが、関東は有力騎手がごろごろいる群雄割拠の時代だったんでしょうね。福永洋一騎手が騎手生命絶たれなかったら、どうなっていたか、色々考えてしまいます。同期生の岡部幸雄、柴田政人、関西の河内洋、田原成貴、果ては武豊、福永祐一と影響を受ける騎

    2013/08/07 19:36 ブロック

  • Vaguely Noble2007さん

    ふくすけさん
    コメントありがとうございます!
    そうですね、当時は関東でも「洋一」「武邦」って言うとやはりブランドでしたね。クラシック・シーズンが来ると、常々、「あの馬には洋一に乗ってもらいたいなぁ〜」ってのがありましたもん。(私だけかもしれませんが・・・)
    関東のブランドは、「政人」「岡部」の時代が来る迄は、やはり野平祐二Jだったかなぁ。

    2013/08/06 16:21 ブロック

  • ふくすけさん

     成程、そうですか。参議院議員藤田正明氏の選挙区は広島でしたし、親子二代ダービージョッキー第一号の中島啓之騎手は、お父さんの時一さんが競馬界引退して故郷の広島に帰ってから生まれたことは有名な話ですからね。私は騎手の所属する厩舎同志のしがらみが有って、関西の騎手に依頼したのかなと思っていました。
     私は関西人だからテンポイント派でしたが、武邦さんがトウショウボーイに乗る様になってからはトウショウボーイ派に転向しました。関東の競馬ファンはトウショウボーイに関西の騎手が乗ることをどう思っているのかなと常々考えていましたが、VaguelyNoble2007さんはそういう御意見なんですね。


    2013/08/06 16:07 ブロック

  • Vaguely Noble2007さん

    ダービーでは、テンポイントでボーイを負かしにかかった武邦Jが、ボーイに騎乗するのはちょっと皮肉でしたが・・・
    関東の有力馬に「福永洋一」「武邦彦」が騎乗する事は、当時の関東のファンにとっては一種のファンタジーでしたね。
    私も、「ボーイに洋一騎乗!」と新聞に出たときは結構喜びましたもん。

    2013/08/06 09:30 ブロック

  • Vaguely Noble2007さん

    トウショウボーイの乗り替わりについては・・・
    多くの人々が呆然としたダービーの敗戦と、スタートで躓き直線猛然と追い込んだものの、グレートセイカンの2着に敗れた札幌記念のレース振りに激怒した馬主陣営が、菊路線では洋一Jに依頼。しかし有馬は洋一Jに先約(エリモジョージ)があるため、オーナーと同郷の中島啓之Jに白羽の矢が当たったが、(一説では)池上Jの心情を察した中島Jが、有馬当日、福島に乗りに行ってしまい、武邦Jに最終的に落ち着いた、と聞いています。

    2013/08/06 09:22 ブロック

  • ふくすけさん

     確かに、関西馬が関東のレース(ダービーやオークス)の時に関東の騎手が乗り、逆に関東馬が関西のレース(桜花賞や菊花賞)の時に関西の騎手が乗ることは、ちょくちょく有りました。しかし、トウショウボーイの騎手変更は謎ですね。何故自厩舎の池上昌弘騎手を降ろして関西の騎手に依頼したんでしょうね。関東に幾らでも実力の有る騎手はごろごろいたのに、当時から疑問です。有馬記念で福永洋一騎手はエリモジョージに乗るから、武邦さんに依頼が来た話を武邦さんが『優駿』でされていましたが、有馬記念は関東のレースですからね。
     お久しぶりにコメント致します。私は武邦派なので、タイトルに釣られました。

    2013/08/05 23:27 ブロック

  • Vaguely Noble2007さん

    おしこさん
    ありがとうございます!
    当時は、関東馬に関西のジョッキーが乗る事は殆どありませんでしたから、トウショウボーイに福永洋一Jや武邦彦Jが騎乗したのは結構(良い意味で)衝撃的な事でした。
    今はあたりまえの事ですけれども、ね。

    2013/08/05 22:27 ブロック

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