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2020/10/13 19:24
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹
文学(小説など)を読んで影響を受ける事は、若い頃にはありますが、
ある程度の年齢に達すると、人生観も固定してきて、まあ、そう言うもんだね、
で終わってしまいます。
私は、競馬をしてる関係上、評価を大切にしてきました。また、文学なども
評価をするのが当たり前と思ってきました。
この、世界の終わり、を読んでいない読者の為に、解説をします。
世界の終わりと、と書いてあるように、2部構成になっています。
世界の終わり、と。ハードボイルド・ワンダーランドです。この世界の終わりは、
主人公の夢の世界です。物語部分はハードボイルドになっています。
実は、この小説を読み始めて、続けて読むと、非常に難解で、夢を見てるような
感覚になりました。作者(村上)としては、続けて読んでくれるのを期待して
書いてるかも知れませんが、
私は変則ですが、ワンダーランドだけを、途中から最後迄読みました。
筒井康隆の小説を読んだ事がある人なら、少し
似てると感じるでしょう。「パプリカなど」ワンダーランドはドタバタです。
筒井の場合は、外向的で攻撃的です。村上のは、内向的で、内省的です。
しかしドタバタはドタバタです。ここまで読んで、
世界の終わりを読まなければ、これまでの評価では、ゴミ箱でした。
私の悪い癖で、読み始めた本は最後迄読み通すのが、常でしたので、
世界の終わりを、終わり迄(爆
読もうとしました。
そして、読み進んで行く内に、人生観を左右するくらいの衝撃を受けました。
強い衝撃ではなく、理解したと言った方が正しいでしょうか。
これまで、評価するのが、何の疑問も感じなかったんですが、文学は評価する
ものではないと、突然、啓示があったのです。人生も評価ではなく、
役割だと気が付いたのです。役割分担ではありません。役割が嫌なら、
違う役割をすれば良いのです。
物語には主人公がいますが、人生には主人公はいません。その時、
その場でのフレームの中に
自分の役割があるのです。
私だけの、啓示かなと思って、最後迄読んでいたら、やはり作者、
村上の思想みたいですね。
私以外の人が読めば、違う感想かも知れませんが、読んで良かったと思っています。
<敬称略>
松尾佳葉
世界の終わりと、<考察>
世界の終わり、の主人公が選択した結果は、物語を完結させる為と、
もう一つのハードボイルドに関係があると思います。
もし、世界の終わりの主人公が、あの世界を抜け出していたら、
ワンダーランドの主人公の、「逃げ場」が無くなります。そして、
両方とも死んでしまいます。
「影」ですが、あれは私達の自我だと思いますね。
自我を失ったら、この世界は終わりになります。
自我があるから、悩んだり苦しんだりしますが、
その反対に、楽しみや喜びもあります。この根底<自我>に突き動かされて、
我々は生きていると思います。
つまり、自我を失った世界が、
「世界の終わり」です。
ところで、夢の中で、音楽を聴いてる(メロディが聞える)
場面の夢を見た記憶がありますか?
私は、手の感覚とか、舌の感覚とかは、強烈な夢の体験があるので、
五感は感じると思いますが、音楽を聴いた記憶がありません。
これは、村上さんの、「世界の終わりと」の主人公が歌(唄)を失ったと
関係あるのでしょうか。
2005年1月1日
文学史において、私見ですが、「世界の終わりと」で文学は終わりました。
これ以後の文学とは、自我の発見の小説になるでしょう。
「世界の終わりと」の以前の小説は、自我ではなく、
自己を問題にしていました。
自我とは、意識されない「自分」です。本能みたいなものですね。自我の上に自己が
あります。
これからの文学は自己では無く、自我を見つめなければならないでしょう。
もう、多くの書物を読む必要はありません。
(個人的に)
ある意味で、哀しいね。読書は最大の暇潰しですから。
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招き猫さん
エルさん、いいね!ありがとうございます。
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エル uuuuu !さんがいいね!と言っています。