6012件のひとこと日記があります。
2025/12/16 23:16
1992年 ジャパンカップ トウカイテイオー
1992年のジャパンCは、1番人気がユーザーフレンドリー(3歳牝、英オークス、愛オークス、セントレジャー)、2番人気がナチュラリズム(4歳牡、豪ダービー)、3番人気がレッツイロープ(5歳牝、豪年度代表馬)、4番人気がディアドクター(5歳牡、アーリントンミリオン)、5番人気がトウカイテイオー(4歳牡、日本ダービー)でした。(年齢表記は現在のもの。レース名は主な勝鞍)。トウカイテイオウ―は4歳になって、天皇賞春5着、天皇賞秋7着で、人気を落としていました。
トウカイテイオーは14頭立ての14番枠だったので、最初の直線で脚を使って、前に出て行きます。先頭に出る勢いでしたが、1コーナーを利用して4番手に控えます。この辺りの位置取りは岡部騎手の職人技です。ペースは、レガシーワールドが逃げて、ドクターディビアスが競りかけたので、速くなりました。岡部騎手はこれを追いかけることなく脚を溜めます。1000mを通過して外国の有力馬が先頭に接近し始めますが、岡部騎手は動きません。6番手ぐらいまで下がります。岡部騎手は、東京競馬場では3コーナー手前で動いてはいけないことを知っています。そして、4コーナー手前から動き出して、残り400mで先頭に並びかけます。馬の手ごたえが良すぎて、少し早めに先頭に並んでしまいました。
しかし、ここからの岡部騎手の手綱さばきに注目です。内から先に抜けたナチュラリズムを射程圏に入れて、外から追い込んでくる馬がいないか確認します。そのため、馬を少し外に寄せます。すると、ディアドクターが追い込んで来ました。しかし、あまり手ごたえがよくありません。逆に内のナチュラリズムの手ごたえが良く、一向に脚が衰えません。そこで岡部騎手は馬を内に寄せて、ナチュラリズムに合わせました。後はトウカイテイオーにお任せです。ゴール前でもうひと伸びして、ナチュラリズムをクビ差、差し切りました。このころはオーストラリアからの直行便があったために、オーストラリアの馬の活躍が目立ちました。トウカイテイオーは、この激走で、次の有馬記念は11着に敗れてしまいます。強靭な筋肉に、骨格が耐えられなかったタイプの馬でした。もっと骨が丈夫なら、メジロマックイーンにも負けなかったと、今でも思っています。


