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2013/10/25 16:19
天皇賞(秋)の思い出、メジロマックイーン
荒れる天皇賞(秋)といえば、1991年のメジロマックイーンを思い出します。
1990年の菊花賞を勝ったメジロマックイーンは、次の年に武豊に乗り替わり、阪神大賞典、天皇賞(春)を連勝します。宝塚記念はメジロライアンの2着に敗れますが、秋になって、京都大賞典を圧勝して、天皇賞(秋)に出走しました。実力は抜群で、単勝1.9倍に支持されました。多くの人がメジロマックイーンの勝利を期待しました。
しかし、事態はそれほど簡単ではありませんでした。ステイヤーであるメジロマックイーンには2000mはやや短かったのです。実際、2200mの宝塚記念で敗れています。さらに、当日は不良馬場で、メジロマックイーンが勝つためには、スタートから前に出して良い位置を取ることが必要でした。
しかし、メジロマックイーンは、枠番が18頭立ての13番だったのです。今でも東京2000mは外枠不利と言われますが、当時はコース改修前で、スタート地点から第2コーナーまでの距離が今より短く、きついカーブだったのです。普通にスタートダッシュをすると、外枠の馬は自然と後方の位置取りとなってしまいます。
したがって、スタート直後、武豊はメジロマックイーンを前に出して、徐々に内に切れ込んでいきました。しかし、ちょうど内に馬が並んでしまい、挟まれた馬が落馬寸前まで体勢を崩してしまいました。この混乱の原因がメジロマックイーンと判定されて、1位入線したメジロマックイーンは18着に降着処分になりました。
レースは、第2コーナーを抜けて先頭に立ったメジロマックイーンがそのまま逃げて、最後の直線で後続を引き離してゴールインしました。この圧勝は、第2コーナで内に切れ込んで先頭に立つ武豊の作戦が正解だったことを示しています。最後に圧勝したのだから、第2コーナーで無理をしなくてもよかったという考え方は少し違うと思います。勝負は紙一重で、勝負所で引いてはいけないのです。
馬群が第2コーナーを抜けて、すぐに審議ランプが点灯し、レース終了後、長い審議が行われ、武豊が裁定室へ呼ばれて、降着処分が発表されました。