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2019/08/16 15:15
コラム [No.193] 新潟紀行 その1
さて。この前のひとこと日記でも書いたが、先週の金・土(8/9, 10)で新潟に行ってきた。もっとも最大の目的は、大学時代のサークル仲間と毎年参加している、新潟まつり初日金曜夜に行われる大民謡流しに今年も出るため。でも翌土曜には競馬にもちょっとだけ行ったのでその事にも後で触れよう。
【8/8(木)】
いきなりハプニングから始まった。明日新潟に出発するというこの前日夜になって、俺の車で一緒に行くことになっていた前橋在住の後輩Sから緊急のメールが入る。
S「先輩(←俺のこと)〜、大変です!自分が明日泊まる予定だったホテル、ネットで予約したはずなのに、今日確認したらなぜかキャンセル扱いになってしまっていて・・・」
俺「はぁ〜??アホかお前!そんなマヌケな事が有り得るん?それに明日泊まれなかったら、夜の民謡流しが終わって、打ち上げも早々に深夜の新幹線で群馬まで帰るんかいな!何とかしろや!」
その1時間後。
S「先輩〜、ご心配おかけしました!何とか新潟駅前のビジネスホテルが今取れました!予定通りでお願いしま〜す!」
言っておくが、これは60歳と57歳の会話である。
【8/9(金)】
午前7時に桐生の自宅を車で出発し、Sを拾うため前橋市内の彼の家に到着。この時点で午前8時。ここから一気に日本海側の新潟市まで行くには、一般的には関越自動車道に乗るのが常識だが、俺たちは違った。
俺「いいかS、高速料金だけで往復1万円近くも使うんは勿体ねぇで。全行程、時間かかっけど一般道だけで行ぐかんな!」
S「先輩、大丈夫っす!俺がいろいろお話しして、先輩が飽きないようにしますから任せて下さい!」
というわけで道中、Sの話がさっそく始まる。歴史や古文書、さらに地理や鉄道にも造詣深い彼は、このあたりが昔の三国街道の何たら宿だった場所だとか、今ではありえない高崎〜長岡間の鈍行直通列車に乗ったことがあるとか、どこそこの集落には江戸時代のこういう書面が残っているとか、部分的には興味深い話を次々にしてくれたおかげで、俺は眠くもならず快適な6時間(!)のドライブを楽しめた。
さて、約250kmもの長距離ドライブの末、やっとのことで午後2時頃新潟市街が近づく。ここで俺はSに、スマホで新潟駅周辺のコインパーキングで今時点で空きがあるところを検索するよう指示。そう、実は俺がこの日泊まるホテル(Sが取れたホテルとは別)も新潟駅のすぐそばだったのだが、ホテルそのものには駐車場が無いとの事で、新潟に着いたらまずパーキングを探すことが命題だった。しかし俺の車に付いているカーナビも旧式だし携帯もガラケー。だからそれをスマホで調べてくれる相棒が必要だったのでSを同乗で誘ったのも本音のところ。
S「先輩!この○○って駐車場、先輩のホテルの目の前っすよね。ホラ空いてます空いてます!しかも24時間最大900円っす!すげーラッキーじゃないっすか?」
斯くして俺たちは2時半前にその駐車場に到着。2人ともチェックイン時間がまだだったので、荷物は車内に置いたまま新潟駅まで徒歩で行き、CoCoLo西館にある〈ぽんしゅ館〉にて5種類500円のきき酒を塩を舐めながら堪能(非常に興味深い所。これから新潟に行く人で日本酒好きは是非行ってみてください)。その後同店舗の地酒コーナーで嘉山(ひとこと日記2017/8/12・No.097参照)を購入した後、3時半過ぎに車まで戻り、荷物を持って2人それぞれのホテルに一旦入る。
さて夕方。この日の我がチームの集合は、俺たちが踊る場所・万代町通り沿いにある居酒屋Kに午後6時。毎年ここで事前の着替えをさせて頂いているとともに、終了後の打ち上げもやるのだ。6時集合といっても、たいてい酒好きの先輩達は5時頃から集まって飲んでいる。俺が着いたのも5時半頃だったが、店に入ると果たして今年もそうだった(笑)。
生ビールを数杯空けた後、浴衣に着替えていよいよ出陣。民謡流しの詳細は割愛するが、夜7時〜8時半の間、新潟甚句と佐渡おけさの2つを繰り返しエンドレスで踊るのだ(ただし万代橋・柾谷小路などのメイン会場は新潟甚句のみ)。でも俺たちが学生だった昭和50年代は、民謡流し区域がもっと広かったはず。確か寄居町あたりでも踊っていて時間も6時〜9時くらい、延々3時間はやっていたと思う。
民謡流し終了後、予定通り居酒屋Kで打ち上げ、11時過ぎに駅前へ移動して2次会。歳を重ねても、相変わらず楽しい連中と盛り上がることが出来て嬉しかった。
その2に続く!