81件のひとこと日記があります。
2024/03/28 00:57
ありがとう 大庭和弥J
2024年3月27日(水)の23時前、ネットのページを観ると、『大庭和弥J 引退』と言う文字が広がって居た。
周知の通り、大庭Jは、ここ数年、騎乗数が減って居り、客観的には、そう言った発表がなされても不思議ではなかったかも判らない・・。
でも、この数年間、そうだった様に、これからも、細々とでも、騎手を続けてくれる、と言った期待を持って居た・・。
今は消してしまったけれども、過去の日記に、ぼくが大庭Jの存在を意識した時の事を書いて居たので、改めて記そうと思う・・。
2007年の9月21日(金)の事、売店で買った東京スポーツの競馬欄に、『中山競馬のダート1800mが得意な騎手』としての紹介に、大庭Jの名が有ったのだ・・。
この年から競馬を始めて居た僕は、その記事で、何となくにも大庭Jの名前を憶えたのだが、翌日の『中山競馬11R ダート1800m ながつきS』にて、大庭Jは、全くの人気薄だった、(初代)テイエムファンキー号に乗り、何と、勝ってしまったのだ・・!!
この時の、テイエムファンキー号の勝ちっ振りが、とても印象深く、以降、ぼくは、大庭和弥JをJRAの贔屓とする様に成る・・。
翌年の2008年には、大庭Jが乗る全レースに、単勝と複勝を100円ずつ投じた。
100円と言って、あなどる事をなかれ、JRA桜花賞の日、中山競馬に騎乗をした大庭Jは、数々の人気薄を上位に持ち上げる事と成る・・。
チチブヨマツリ号、トレオウオブキング号、その後の春雷Sでも・・?
2009年には、大庭Jに取って、初めての平地重賞勝ちに、あと一歩だった『ファルコンS(カツヨトワイニング号)』、年末の『納屋橋S(ジョイントスターズ号』も、ファンに取っては印象に深い競走だったかと・・。
2011年には、東京優駿の後に行なわれた『被災地支援・つばさ賞(トーホウオルビス号)』での勝利。
この時の競走は、雨の中で、馬場状態も不良だったかと思う・・。
1枠1番の発走で、外から来た者に先行されそうに成ったものの、再び、先手を主張し、そこからは終い迄、先んじられる事は無かった・・。
他にも、大庭J、思い出の競走を挙げれば、キリも限りも無く・・。
又、自分が、大庭Jを贔屓に出来たのは、幾つかの理由が有るものと、客観的にも想像をするのだけれど・・?
余り注目を集める騎手では無かったが、時折、キラリと光る騎乗を、やってのける、それも要因に挙げられるかと思う・・。
それを具現化したのが、2007年のテイエムファンキー号等で有ったのだろう。
僕は、以前の様に、頻繁にJRAの競走へ投じる事は無くなった・・。
正直、毎週末、競馬新聞を買って、予想をして居た時期が懐かしくも有る。
自分の投票頻度やJRA競走への注目度と、大庭Jの騎乗数が比例をするか・・?それは判らない。単に、自分の中で満足をしたのかも知れないからね・・?
でも、JRAへの関心を繋いでくれて居た最大の要因は、他でもない、大庭和弥Jだった事は間違いを無い。
別の話。今後、JRAへのネット投票会員を如何するか、等、色々と考える事は有るけれども、それは、少し、時間を掛けて考えたいと思う・・。
・・大庭和弥Jへの想い。
当初は、もっと、ゆっくりと、文章を纏めてから記そうとしたのだけれど・・?
それよりも、拙い文章でも、今、湧き上がって居る気持を、なるべく、その儘で・・、と考え、今回、取り敢えず、この様に記した次第・・。
先ずは、大庭和弥J、これ迄、本当に、どうも有難う御座いました・・!!
・・とは記したものの・・。
今は、彼が、間も無く引退をされる実感、全くと無く・・?4月以降も、時折、乗られる気分で居る・・。
・・でも・・?本当・・。ぼくに、JRAへの関心を持たせ続けてくれた事、感謝をばかりです・・。
その事。今、先ず、大庭Jへ、ありがとう、と言いたい、伝えたい・・ですね・・?