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2013/04/27 00:09
やっちの重賞回顧録[天皇賞(春)(G?)]
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第115回天皇賞(春)(G1)
1997年4月27日 3回京都4日目 サラ系4歳以上オープン 牡・牝○指(定量)
着 順 |
枠 番 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 斤量 | 騎手 | タイム | 着差 | 単勝 | 人 気 |
馬体重 | 調教師 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 4 | マヤノトップガン | 牡6 | 58 | 田原成貴 | 3:14.4 | 3.7 | 2 | 458(-6) | [西] 坂口正大 | |
2 | 4 | 8 | サクラローレル | 牡7 | 58 | 横山典弘 | 3:14.6 | 1.1/4 | 2.1 | 1 | 488(-14) | [東] 小島太 |
3 | 7 | 14 | マーベラスサンデー | 牡6 | 58 | 武豊 | 3:14.7 | 1/2 | 4.1 | 3 | 500(0) | [西] 大沢真 |
4 | 8 | 16 | ステージチャンプ | 牡8 | 58 | 蛯名正義 | 3:15.4 | 4 | 55.2 | 8 | 472(+14) | [東] 矢野進 |
5 | 5 | 9 | ローゼンカバリー | 牡5 | 58 | 藤田伸二 | 3:15.6 | 1.1/2 | 32.8 | 6 | 480(-2) | [東] 鈴木康弘 |
6 | 5 | 10 | ビッグシンボル | 牡5 | 58 | 南井克巳 | 3:15.9 | 2 | 22.6 | 5 | 478(-2) | [西] 中尾正 |
7 | 6 | 11 | ノーザンポラリス | 牡7 | 58 | 福永祐一 | 3:16.6 | 4 | 77.4 | 10 | 468(-2) | [西] 森秀行 |
8 | 6 | 12 | ユウセンショウ | 牡6 | 58 | 松永幹夫 | 3:16.7 | クビ | 83.2 | 11 | 476(+2) | [西] 松元茂樹 |
9 | 2 | 3 | メジロランバダ | 牝5 | 56 | 熊沢重文 | 3:16.8 | クビ | 40.6 | 7 | 494(0) | [西] 池江泰郎 |
10 | 3 | 6 | エイシンホンコン | 牡5 | 58 | 小池隆生 | 3:17.6 | 5 | 59.2 | 9 | 458(0) | [西] 太宰義人 |
11 | 8 | 15 | ハギノリアルキング | 牡8 | 58 | 佐藤哲三 | 3:17.6 | アタマ | 166.8 | 14 | 482(+4) | [西] 小林稔 |
12 | 7 | 13 | ポレール | 牡7 | 58 | 和田竜二 | 3:18.0 | 2.1/2 | 111.4 | 12 | 476(+2) | [西] 岩元市三 |
13 | 4 | 7 | インターライナー | 牡7 | 58 | 村本善之 | 3:18.0 | アタマ | 249.3 | 16 | 488(-2) | [東] 柄崎孝 |
14 | 3 | 5 | ギガトン | 牡5 | 58 | 角田晃一 | 3:18.3 | 2 | 132.0 | 13 | 474(-4) | [西] 山内研二 |
15 | 1 | 1 | タマモハイウェイ | 牡8 | 58 | 河内洋 | 3:18.6 | 2 | 198.3 | 15 | 484(-8) | [西] 吉永忍 |
中 | 1 | 2 | ロイヤルタッチ | 牡5 | 58 | 岡部幸雄 | 11.4 | 4 | 448(0) | [西] 伊藤雄二 |
払い戻し
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単勝 4 370 2 複勝 4
8
14130
120
1303
1
2枠連 2 - 4 420 1 馬連 4 → 8 440 1
今週も回顧録を書くよ。
今週は、伝統のG? 天皇賞(春)です。
G?の週になると、スポーツ新聞(マスコミ)がそのG?をFull Pushします。その書き立て内容で『カチカチ』と言われた頃が懐かしい年度をお送りします。
取り上げたのは、1997年です。この年は、
(1)サクラローレル(昨年の年度代表馬)
(2)マヤノトップガン(一昨年の年度代表馬)
(3)マーベラスサンデー(昨年、重賞4連勝+有馬記念2着)
の3ツ巴決戦でした。当初から、3頭の激烈な叩き合いが見られるのが想像されましたが、それを『遥か上を行く』名勝負となったのです。
レースは、ビッグシンボルが単騎逃げを打つ。ロイヤルタッチが好位置。その後にサクラローレルが付ける。それをマークする位置にマーベラスサンデー。その内寄りにマヤノトップガンが付ける展開でした。
レースが2週目に入り、サクラローレルが一気に先頭に並びかける創造だにしない展開を作り、その後を追って、マーベラスサンデーが追従したのです。
直線に入り、逃げるビッグシンボルを交わしにかかったサクラローレル・マーベラスサンデーで決まるのかと思われたのだが・・・
大外から息を潜めていたマヤノトップガンが矢のような伸び脚でまとめて差し切りました。
その歓声だけでも十分熱いものがありました。でもそのうえを行く歓声が淀のターフを包んだのです。それは、
電光掲示板。何と(!)3.14.4s。以前のレコードを2.7sも更新したのです。
(※当時の競馬ファンでなかった方は、信じられないかもしれませんが、本当です!)
このレース決着は、1990年代屈指の
『本当に強い馬が強い戦いを繰り広げた』もとい『穴党を完全に沈黙させた』天皇賞(春)に相応しいと思います。
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スーパーやっちさん
⇒RA272さん、コメントありがとうございます。
コメントにあったインターライナーは、スタートで出遅れましたね。でも、懐かしいこのレースを覚えていますね。
当時、馬場の改修技術が進んでいなかった時代ということもあり、凄まじい優勝タイムでした。 -
スーパーやっちさん
⇒ダイキズニャンさん、コメント&『いいね!』ありがとうございます。
あの激戦から16年経ちました。この1997年の天皇賞(春)は、ディープインパクト(2006年優勝)にレコードを破られるまでは、多くのファンが『不滅のレコードではないか』と言われ続けた超ハイレベルものでしたよ。
このレースが凄まじいレコード決着になった要因は、他にあるとすれば、ビッグシンボルがペースを落とさない一定ぺースの逃げもあります。
2000年代になって波乱が増えたのは、自信を持ってスタミナ勝負に持ち込めるステイヤータイプの馬が減ったことが大きいと思います。
あと、ダイキアズニャンさんの取り上げた2004年のような大波乱が生まれた要因は、騎手のペース判断力が落ちた(時計感覚が狂った)事もあるかもしれません。 -
RA272さん
インターライナーいたなぁ懐かしい。
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ダイキアズニャンさん
やっちさんこんにちは(・∀・)ノ
ダイキアズニャンです。
この年を挙げる人は本当に多いですね~~~自分は当時小6でまだ競馬にハマる少し前だったので、DVDしか観たこと有りませんが本当にリアルタイムで見た人はスゴかったんだろうなあ~~~と思います。
自分が1番印象に残る春天は2004年。インデグランディーレが逃げ切って大波乱になった年です。 -
ダイキアズニャンさんがいいね!と言っています。