52件のひとこと日記があります。
2012/02/03 16:59
☆あしあと広場☆ ♪何でもどーぞ^^
↑
<ごあいさつ>
私生活で大きな変化があり、ご無沙汰申し訳ございません。
日中の個々のレースの参戦が難しくなりました。
しかし、福山競馬を始めとする地方競馬応援への気持ちに
なんら変化はありません。
収入の10%を福山競馬馬券で費消するという、生活信条も
従来と同じです。競馬に時間を避けないことで、応援馬や
勝てない仔達を中心とする盲目的馬券購入になるとは思いますが(苦笑)
ひと段落すれば、また恒常的アクセスいたします。
皆様、どうぞ福山競馬の馬券購入のほど、よろしくお願い申し上げます。
では、また。
-Contents-
☆毎日開催中!地方競馬!☆
☆深夜の覆面座談会! 『明日の船橋競馬3日の勝負処は???』☆
☆船橋競馬2日目開催中!地方競馬でガッツリ儲けよう!☆
☆高知よさ恋ナイター開催中!☆
☆大井競馬最終日開催中!地方競馬でハワイに行こう!☆
☆大井競馬4日目開催中!☆
☆大井競馬3日目開催中!地方競馬で盛り上がろう^^☆
☆大井競馬2日目開催中!みんなで当てよう万馬券^^☆
(乱入歓迎^^!)
☆福山けいば開催中!(今年度ラストだよ。応援してね!!)
☆「くわいちゃん」をヨロシコ!!
☆足利の北斗神拳♪☆
☆競走馬と力士☆
☆「夢」☆
☆「虎」と「馬」☆
☆戦場で生まれた仔馬☆
☆かくれんぼ♪⌒♪^^☆
☆カイソウ号と沢村栄治☆
☆軍馬の涙☆
☆ウラヌス号とバロン西☆
☆戦争と人馬の絆☆
☆地下街のケンちゃん☆(頓挫笑)
☆平和台球場の想ひ出^^;
☆佐賀はよかとこ☆
☆ある騎手の引退☆
☆ヴァイオリンと弾き手 競走馬と騎手☆
☆益田競馬場のこと☆
☆平○中学ネタ☆
☆さようなら。ありがとう。元気でね。☆
☆福山けいば 岡崎準騎手3000勝達成!!☆
☆船橋競馬場☆
☆馬頭琴?お馬さん達がくれた音楽?☆
☆旅費を吹っ飛ばした阿呆な奴☆
☆競走馬と湯気☆
☆競馬と「音」☆
☆プロ野球ネタ☆
☆馬券に関する裁判例☆
☆福山と高知の絆
☆軍馬
☆勝山号
☆断れない立場(ライネンフェンガー事件)☆
☆フォトコンテスト☆
☆高校野球ネタ☆
☆広島カープネタ☆
etc...
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上州くんさん
今日は小?中波乱もありますね。9レースの2番は、人気薄ですが黒川騎乗の時はガチなので3着内あれば配当がでるかなと。。
頭は1番で固そうなので3連系か馬複で狙ってみるつもりです。。複勝が大きく付けばいいんですけど、もし1番に人気が被ればあまり複勝のオッズはつかないかな、と。。
PCの調子が悪く、LIVE映像が見られない?。。何故?(泣) -
的場とボンちゃんさん
勿体無い事に私は買えませんでした…2Rは軸1から5.6.7と3連複買ったんですが、8が来るとは↓↓↓美味しいお馬さん教えて下さい(笑)
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上州くんさん
見事人気に応えました!さすがですね!♪
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的場とボンちゃんさん
三村騎手早々勝ち星あげましたね!!
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上州くんさん
☆カイソウ号と沢村栄治☆
昔の巨人の伝説的速球投手、沢村栄治が徴兵されて非業の戦死を遂げた
のは有名な史実だ。1944年乗船していた輸送船が米国の潜水艦の雷撃
で撃沈された。
競馬の世界でも、やはりスターが犠牲になった。1944年(昭和19年)の
日本ダービー(東京優駿)優勝馬のカイソウ号。戦争末期、陸軍に軍馬
として徴用され2度とターフに帰ってくることはなかった。司令官馬と
して1級の扱いを受けていたというが、その最期は明らかではない。 -
上州くんさん
☆☆
?暖風そよぎ 若草萌ゆる丘の辺に 哀れ斃れし軍馬を埋めん?
運良く戦闘で生き残っても、軍馬が故郷へ帰ることは殆どなかった。
この歌はビルマ戦線(ミャンマー)で従軍した獣医さんが詠んだ歌。
戦争終結時、生き残った数千頭の日本軍馬をイギリス軍の命令で処分
せざるを得なかった時の想いを綴ったもの。せめて一部でも良いから
生かして欲しいとの願いも聞き入れられなかったという。 -
上州くんさん
?沖縄決戦における我が部隊の戦没者は連隊長西沢勇雄大佐以下2110余名を数えるが部隊に配属された防衛隊員はじめ炊事や看護などに献身的に尽くされ最後は部隊と運命を共にした人や戦火の犠牲となった多くの住民のいたことを忘れることはできない
これらのことが祖国に今日の平和と繁栄をもたらすための礎石となったことを明らかにしとこしえに御霊安らかと念じつつ我が部隊終焉の地にこの碑を建立する 。 -
上州くんさん
沖縄県糸満市真壁は野砲四二連隊の終焉の地。そこには連隊の鎮魂碑と
馬魂碑が建立されている。以下その碑文より抜粋。
?野砲兵第42連隊 は昭和14年創設され満州に駐屯していたが同19年7月沖縄本島の守備に当たることとなった。翌20年 3月末より本島に侵攻した連合軍を迎え、想像を絶する激しい弾雨の中で第一線友軍の支援射撃にあるいは対戦車攻撃に威力を発揮し、再三その進撃を阻止するなど砲兵の本領そのままに敢闘したのである。やがて戦況の悪化に伴いり島尻南部に後退した部隊はここ真壁を中心に陣地を展開してさらに奮戦するも、弾薬は途絶え死傷者は続出し各隊ごと最後の出撃を決行したがその殆どはこの地一帯で散華した。
また輓馬部隊だけに在満時代からの数多くの軍馬も共に戦野を駆けたが日を追って斃れる数を増し戦火の消えたときついに一頭の姿も見ることはなかった。? -
上州くんさん
注※砲を馬で牽引する場合は6頭立てが標準だった。
ただし大口径で重量のある13糎榴弾砲等の場合は8頭立てとなった。 -
上州くんさん
☆野砲第四二連隊兵士(御者兵士)の証言☆
私らは、農家で馬を使ってるもんだからね、野砲の御者として採用された。そして旭川で入隊し、それからすぐ満州へ出発して行きました。
御者はね、馬の手入れが第一さ。そして大砲引っ張る馬と、弾薬車を引っ張る馬と別々なんですけど、私らはそれこそ大砲を引っ張るのも6頭立ての馬で引っ張るし、弾薬車も6頭立てで引っ張る。だから1個分隊に馬は12頭おるわけだわ。それで馬の御者というのも、前馬と中馬と後馬とあるのね。いちばん大事なのは後馬だけど、その次に大事なのは前馬、中馬は真ん中だからね、それこそ、前、後ろの言うことさえ聞いていればいいんだけどね。前馬も結構、責任あるんだわ。やっぱり前へ進んでいくのにね、砲車と弾薬車の距離は5メーターぐらいでこう行くから、それ以上離れてもだめ、ひっついてもだめ、やっぱり規則正しく行くからね、だから、前馬も結構、責任ある立場さ。