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2017/11/07 18:17

備中高松城攻め その1

いい天気だったので、備中高松城へ行ってきました^^

備中高松城は、100名城にこそ選ばれていませんが、秀吉の水攻めと、それに続く中国大返しの起点となった城として有名な城です。

三方を山で囲まれ、湿地の中に浮かぶ島のような高松城は、羽柴・宇喜多3万の大軍に攻められながらも、名将清水宗治率いる5千の兵で二度にわたって撃退し秀吉を苦しめます。
毛利の援軍が迫る中、秀吉は高松城の強みを逆手にとり、水攻めという奇策に出ました。
約4kmにも及ぶ高さ8mの土手を築き、足守川の水を引き入れ高松城を孤島化させ、城への補給路を完全に断ち切ります。
あとは城内の兵が飢えるのを待つのみ、となった秀吉の元に本能寺の変での信長の急死が伝えられ・・・

もう歴史好きには堪らないこの一連の出来事、それがこの地で繰り広げられた訳です。

城自体は、非常に小規模で、天守はなく、これといった遺構も残されていません。綺麗に整備された城址公園なので、散歩するにはイイかなといった感じ(^^;)
ただ、この城の良いところは、清水側と羽柴側、両方の立場から戦場を見れるところです。
城の南東に位置する石井山には、秀吉の本陣跡があり、高松城付近を見下ろせます。また、盆地の中央に位置する城の周囲には高い建物がほとんどなく、攻城側の布陣も想像しやすい地形になっています。
欲を言えば、秀吉の本陣跡はもう少し広げて、陣幕でも張ってもらえれば雰囲気が出るかなと・・・(^^;)

小さいながらも資料館もあり、地元の話好きのおじさん(と言っても、ガイドもしてくれるそうなので、ただのおじさんではありませんww)がいろいろと説明してくれます。

元々、天守はおろか石垣も無い、湿地帯にぽっかり浮かぶ島程度の城だっただけに、遺構がろくに残る訳もなく、その辺りが100名城選定時に影響したのでしょうが、この城が歴史に残した意味合いを考えると、是非100名城に入れて欲しかった・・・
まぁ、岡山県では現存天守を抱える備中松山城を始め、岡山城、鬼ノ城、津山城と、4つの城が100名城に選定されているので、言わば、高校野球大阪大会や神奈川大会でベスト4くらいの悔しくて惜しい感じでしょうかね(^^;)

1枚目:蛙ヶ鼻(かわずがはな)には、堤防の一部が遺っています。

2枚目:秀吉本陣跡から備中高松城を望む。中央に見える森のような部分が高松城の本丸。その向う側の小高い山には加藤清正が陣を張っていました。左手には小西行長、山内一豊らが、右手には宇喜多忠家が布陣。もう少し木を切って視野を広げてもらいたい(頼むよ岡山市さん・・・)

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