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2012/01/21 05:22
そのじゅうなな:70年代を通して ヒン
そのじゅうなな:70年代を通して
ヒンドスタンの嵐が去った後、欧州こそサラの本場であるという観念自体が過去のものになりつつあった。
ムムタズマハルという美しい名前の牝馬の孫にナスルーラと名付けたアガカーンは、同馬をアメリカに売り渡してしまう。後にまた欧州の戻っていくことになるなど・・・脱線。
「死んでたまるか」と続き、さらに「打ち負かされない」奴が来日する。ネヴァービート。
欧州に残ったナスルーラ系は、プリンスリーギフトとこれまた美しい名前の牡馬を通して、来日を果たす。テスコボーイ。GBはまだ東洋の片隅から狂気のスピード馬が生まれることなど夢想だにしていない。
民間で大牧場の提携を果たしたシンボリとメジロは、全くの異系を来日させる。パーソロン。マルセル・ブサック作品の佳作とも言えるマイリージャンの仔である。ここからサイボーグが生まれるなど、おフランスは知らない。
70年代はこの3頭に代表されると言っても言い過ぎじゃない。
ところが、わが血統は、1980年にスダフラウを生み出す。
カナダからのノーザンアンサー・・・・血統表の片隅によく見かける同馬は、小牧場にあのノーザンダンサーの血脈を注入することになる。
われらがスダフラウにとって、ネアルコのアウトブリードが施されるだけになり、配合の幅が広がった。
開かれる新しい扉。1981年第1回ジャパンカップ開催。
血統でも世界と戦えるのか?
いつまでも種牡馬を買ってこないといけないのか?
内国産の出番は無いのか?
スピードとスタミナは両立するのか?
これからが、配合の知恵くらべだ!