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2019/05/25 21:56
今日も懲りずにダービー特集その6 思いと思惑。
思いが思惑を超えられるか?今回の日本ダービーはそんなレースかも知れない。ダービーの持つ意味は将来の優秀な種牡馬選定競走に他ならない。だから、勝馬の殆が何か不幸な理由がない限りこのレースを勝つと種牡馬になれる。ダービー馬はダービー馬からと言う語源はここにもある。
競馬はギャンブルの一面もあるし、スポーツの一面もあるし、最近ではレジャーとしての一面もあるが、つまりは巨大なビジネスサークルだ。ダービーを勝てば約二億円もの賞金が手に入るが、その額も、ディープインパクトやキングカメハメハのような大種牡馬になれば得られる金額はその比にならない。特に一口馬主と呼ばれるような出資を募って運営されるクラブ法人馬主は一般的には経費の負担も口数に分けてされるのでリスクも少ないようだが、リターン少ない。賞金は基本その口数に分けて分配してしまうので一度募集が終われば手数料収入程度だ。だからこそ、看板馬はきちんと種牡馬に上げてそのサイクルを保たなくてはならない。多くの競走馬にとって一番のビジネスは現役時代だが、一番大きなビジネスは一部の馬の引退後にこそある。ただ馬を作って販売すれば成立する小さな生産者と違って何十頭も種牡馬を抱えるような巨大牧場は多分自分らでは感じられないようなある種の強迫観念に迫られながらその思惑を練り上げているのかも知れない。なぜなら?今でこそいわゆる良血馬がある程度走るようになったし、大きなシンジゲートを組むような種牡馬が成功するようになったが、それは大きく言えば最近の事だ。海外から何頭もの超のつく程の名馬が種牡馬として導入されてきた。あの神の馬と言われたラムタラでさえ日本で種牡馬生活をしていたのだ。しかし、その殆は成功して来なかった。海外から名馬の墓場なんて揶揄された事もあった。その原因が何か?と言えばノーザンテーストが大種牡馬として全盛だった時期から競馬を見てきた自分が感じていた事は、日本の調教技術の低さに他ならない。何の世界にだって優劣はある。優秀とは少数のことなのだから、全部が優秀になることなど有り得ない。しかし、全体のレベルはその優の方ではなく劣の方で決まるものだ。一部の調教師以外に預けられた馬たちは全く走らない。たまに驚くぐらい走ってもそれを継続出来ない。この世に名馬の血を持たないサラブレッドなんて一頭もいない。走った馬しか血を残さないのだから、どの馬も辿れば必ず歴史的名馬に辿り着く。その状況を一番歯がゆい気もちで見てきたのは、競馬ファンでもなく、馬主でもなく、毎年毎年投資を繰り返さなければならない生産者だっただろう。昔は育成と生産も別だった。これはサラブレッドの生産もあくまで農業で有る事に一因してるのだろう。今でも牛肉などは仔牛の生産農家とそらを肥育する農家の多くは分業性である。昔は調教師になるその多くの人たちが元騎手であった。千勝以上を勝つと難しい一次試験が免除された。F-1レースなどに例えれば分かりやすい話しだが、良いドライバーが良いメカニックな訳はない。たまにメカニック並に精通したドライバーもいない訳ではない。
しかし、それは本来別のノウハウが必要だ。それを多くの騎手上がりの調教師に任せてきた。それを大手の牧場は長い年月を掛けて変えてきた。自分の所で人を育て調教師として送り込んでいった。育成も自分たちの手で行い、庭先取引を減らす為にセレクトセールも立ち上げた。生産、育成、販売を自分たちの手で行い最後の砦が調教と騎手の選定で、それも外厩制度を整え、優秀なちゃんと言う事を聞くビジネスライクな騎手や調教師を囲い込み、積年の思いを思惑に変えられる迄にようやく来たのが今の競馬だ。
しかし、少し行き過ぎたのかも知れない。調教師はすっかり調整師だし、騎手はただの雇われドライバーに成り下がった。自分たちの思いを通す為に多くの人たちの思いを結果踏みにじっているのかも知れない。大手の牧場関係者が巨大な組織と巨額のマネーを使ってリアルダビスタを始めたわけだ。
馬は7割の力で走る必要はなく、常に全力を求められその結果叩き台がなくなった。常に100%に仕上げられた馬はその能力を発揮するが消耗も激しく使えるレースが限られてくる。間隔を開けても走れるのではなく、間隔を開けなくては走れないのであろう。しかし、この現象は考えが古いんですよ!と言われるようなオールドファンには耐えられない。だから、今回のダービーはその思惑に立ち向かう馬を応援したい。もちろん、それはあくまで自分の中の想像、もしかしたらファンタジーかも知れないが、それが自分にとっての競馬の予想の醍醐味だ。そのファンタジー(予想)は今回も無駄に長くなったので次の最終回に譲る。