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2021/03/02 21:20
じゃんぽけ逝く。
先日のシーザリオに続いてジャングルポケットも天に召されてしまった。ハンドルネームのじゃんぽけはもちろんこの馬に由来している。
初めてジャングルポケットを目にしたのは前にも1度日記に書いた事があるが、東京競馬場での共同通信杯だった。そしてその時に初めてサラブレッドが嘶く姿を目にした。直線を滅茶苦茶な走りで刺し切って、勝ち誇るように高らかに吠えるその姿は強烈な印象を残した。
ジャングルポケットで思い出すのは非運?の名馬フジキセキだった。その圧倒的ポテンシャルから幻の三冠馬と称されたが、ジャングルポケットと同じ馬主、同じ厩舎、同じ厩務員、同じ騎手であった為にフジキセキで果たせなかった無念の思いを晴らしたと当時話題にもなった。後にジャングルポケットは社台グループに転売?され騎手も服飾も変わってしまったが、1番思い出に残っているのはそうなる前のジャングルポケットだった。
ジャングルポケットは東京競馬場では1度も負けた事がなかった。勝ったG1も全て東京競馬場でその中にはあのテイエムオペラオーを3歳で差し切ったジャパンカップもある。残念だったのは翌年の5着に敗れたJCでこの年は中山での開催だった。もし、この年も例年通り東京で行われていれば3勝目のG1を上げ顕彰馬の対象となっていたのにと思う。
いつか記憶からも記録からも忘れられてしまう日が来るかも知れない。それでも深く深く思い出として自分の中には残っていく。自分もまだ若くて、何で角田じゃなくて武豊なんだよ?とか思っていた。良血や大馬主が好きじゃなくてサンデーサイレンス全盛に一矢報いた、トニービン産駒のこの馬が大好きだった。まだ坂路調教が珍しくて、ジャングルポケットの調教師だった渡辺栄師はミホノブルボンの戸山為夫師と共に率先して坂路調教を取り入れ現在も続く強い関西馬の時代の礎を築いた調教師だった。
時代は流れ角田晃一も調教師となり今では大嫌いだった(笑)武豊を応援している。
ジャングルポケット産駒もディープインパクト産駒みたいに大活躍とはいかなかったけど、牡馬からも牝馬からもダートでもG1馬を出すことが出来た。
確固たる後継種牡馬はいないけれどそれでも細々と続いて行くかも知れない。まだデビューをしていない世代も残っている。
種牡馬も去年引退をして僅かだがのんびりとした余生も過ごせた。23 歳の生涯は大往生と迄は言えないかも知れないがそれでも幸せな馬生だったのではないかなと思いたい。
競馬を始めた頃の名馬達も随分と鬼籍に入ってしまった。
だけど、初めて馬券を買って的中させたナイスネイチャはまだ元気でいる。既にジャングルポケットよりも10年も長生きをしているけどまだまだ元気でいて欲しい。
我儘そうで唯我独尊の雰囲気を持ったジャングルポケット。
その名前の由来は当時ジャングルポケットの馬主であった齊藤四方司氏のお子さんだったか?お孫さんだったが付けた名前でNHKのお母さんと一緒で歌われていた曲名からだった。そう言えばその齊藤四方司氏と私の父が知人で一度馬主招待席に招待して頂いたことがあった。あの頃は良かったと思う自分もそれなりに歳をとったという事だろう。合掌。