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2012/03/29 00:51

我が師、柏木集保に物申す。エピローグ編1

月曜日の柏木氏のコラムは読まれただろうか?もしまだ読まれてない方はそちらを読んでからのほうが分かりやすいのではないかと思うというかきっと何のことだかわからない(笑)
さて、いきなり迎合するようでなんだが、大筋では我が師に賛同できる意見であった。やはり批判する側は自分が批判されることも覚悟のうえ、正々堂々とやるべきである。また、騎手も批判されるのもお仕事のうちというくらいの覚悟で臨んでいただきたいと思う。どこかの某武闘派騎手のようにファンと直接罵りあっている姿はみっともない限りである。勝った時に自分のお蔭だと思いたいならば、負けた時も自分のせいだと心得るべきだと思う。だが、しかしである。騎乗ミスを認めて謝れというのはちょっと違うんじゃないかなと思う。僕は落合中日ドラゴンズのファンであった。それが今年から高木監督に代わって、負けた試合ではファンに謝罪をするというのだ。僕にはそれは下らないパフォーマンスにしか思えない。彼らはプロである。プロであるからには常に一生懸命で全力なのは当たり前だと思う。その結果それでも勝ち負けがつく。果たしてそこに謝罪は必要なんだろうか?もし、プロ野球と競馬は違ってお金を賭けているからと言うならそれはあまりに稚拙だと思う。馬券は自己責任、レースで起こる不確定な要素も含めての話だ。例え騎手の技術力が未熟だとしても誰が乗るかは分かっている話ではないか?しかも、18頭だてなら17頭は勝てないわけだが、その17頭の騎手は全員頭を下げなければならないのか?それは極端過ぎる話しだとは思うが、ようするに人気を裏切った騎手に謝れということなんだと思う。では?その人気は誰が作るのか?そこをよく考えていただきたい。まぁ、多分師匠は評論的にと言うことを言いたいのだとは思う。つまり、専門家からみてそれはないだろうと言う騎乗のことを指摘してるつもりだとは思うのだが、しかし、相手は馬であり生き物だ。体調や気分まではコントロールしようがない。だから事実は誰にもわからないわけだ。しかし、僕は批判してはいけないとは思っていない。冒頭に述べたように批判する側にそれなりの覚悟があるなら批判するのも自由だし、また騎手も批判される覚悟が必要だ。しかし、素直に騎乗ミスを認めて謝罪しなければ乗り代わりが待っているというのはあまりに乱暴でパワハラ的ではないかと思う。僕はジョッキーは自分が素直に感じたまま言えるのが一番だと思う。騎乗ミスを認めても、馬のせいにしても常に乗り代わりの恐怖と生活が脅かされているのだ。本音で話せるのは一部の騎手だけであり、多くの者が誰がしかの顔色を伺って発言しているのではないかなと思う。それに、個人的にはプロがべらべらと自分の技術力の無さを認めたり、乗る馬の弱点を話したりするのは好まない。一流とは常に孤独なものだと思うし、何を喋っても結果で現すしかないわけなのだから。

すいません。2000字オーバーです。続きます。

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