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2012/05/30 17:00
浅見國一氏とヤマニングローバル
浅見國一調教師がお亡くなりになられた。享年90歳。武騎手のブログによれば今年の日本ダービーも元気にテレビ観戦されていたらしくまさに競馬人として恥じない大往生だっと思う。
浅見国一厩舎と言うとやはりヤマニンの冠号ではないかなと思う。調教師の晩年にもヤマニンパラダイスやメジロブライトなどの名馬も手がけたが、僕としては忘れられない馬が1頭いる。ヤマニングローバルである。ヤマニングローバルは父親が三冠馬のミスターシービーであり、ミスターシービーは僕の記憶に残る一番最初の競走馬だ。あれはまだ小学生の時だったと思うが、家族でテレビを見ていた。その時はわからなかったが、あれは菊花賞のレースだった。家の父親は最近でこそ競馬もやるが、その頃は競輪一辺倒で競馬にさほど関心はなかったと思うが(競輪場にはよく連れていかれた)多分世間的にもシンザン依頼の三冠馬誕生になるかと話題になっていたのだろう。最後方の位置取りから直線を向くまでもなく捲くっていって三冠を勝ち取ったシービーは強烈な印象を僕に残した。それから学校でマラソン大会とかあっても常に最後方(笑)シービーを真似た走り方をしたりしていた。その内に段とミスターシービーの事も競馬の事もすっかり忘れさってしまうのだが、自分が競馬を始め父ミスターシービーの字を見たときに記憶が鮮やかに甦った。当時はまだ今のようにPCで簡単に動画を見れた時代ではない。土曜日の東京競馬場に出向いてそこで見るのだが当時はかなりの席の取りあいだった。
当時はミスターシービーの子供なら何でも応援していた。ノーザンテーストやモガミ、リアルシャダイなどが種牡馬として活躍していた時代である。ミスターシービー産駒にも活躍できる余地はあった。結果産駒からG1馬を排出できぬまま種牡馬を引退したシービーだが、その産駒の中でも最もG1馬に近かったのが初年度産駒のヤマニングローバルではないかなと思う。ヤマニングローバルはまだ若い武豊を背に迎えて新馬戦に向かい3連勝でデイリー杯を制覇しクラシック候補NO1に踊りでた。グローバルは父親に似て澄んだ瞳が印象的なとても美しいサラブレッドだった。しかし、ここで悲劇が起こる。競争能力を喪失してもおかしくない程の骨折をしたのだ。その当時の武豊の「これでG1を3つは損をした」の台詞は3冠を意味していたとも言われ、この馬への期待と能力の高さを表すものだった。それから1年以上のブランクを経てヤマニングローバルは復帰したが、脚には引退するまでボルトが入ったままであった。復帰後もアルゼンチン共和国杯と目黒記念を制覇したが、完全復活と呼べる活躍とはいかなかった。たらればを言っても始まらないがつくづくあの骨折が残念であり、何よりミスターシービーの血を遺せなかったことが残念である。あの時あのまま引退していたならばもしかしたら種牡馬になれたかも知れない。しかし、浅見国一調教師の英断によってグローバルは復活し大きな歓喜をもたらした。また、馬だけでなく多くの「人」も育てた。その門下生を見ると驚くぐらい今の競馬に影響をもたらしてる人たちが多い。池江泰郎、泰寿親子もその一人である。最近はよく言えば勝負にドライ、悪く言えば人の結びつきが薄れているように思える。馬だけででなく人も育てることが競馬界の発展にも繋がると思うのだが・・・。浅見國一氏の訃報を聞きヤマニングローバルの思い出共にそんな事を思い起こした一日でした。ご冥福を祈ります。