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2020/01/04 09:20

過去の思い出 1994年 第32回 スポニチ賞金杯

11 R

第32回スポニチ賞金杯(G3)

1994年1月5日 1回阪神1日目 4歳以上オープン  (混)(ハンデ)




馬名 性齢 斤量 騎手 タイム 着差 単勝
馬体重 調教師
1 1 1 エイシンテネシー 牝6 53 田原成貴 2:02.8 19.7 9 470(0) [西] 坂口正則
2 4 7 マーベラスクラウン セ5 55 松永幹夫 2:03.0 1 2.4 1 486(-2) [西] 大沢真
3 7 14 ネーハイシーザー 牡5 56 塩村克己 2:03.2 1.1/4 4.2 2 498(+4) [西] 布施正
4 7 13 ステイジヒーロー 牡9 55 南井克巳 2:03.5 2 49.0 11 470(-2) [西] 田中章博
5 5 9 ダンシングサーパス 牡5 53 熊沢重文 2:03.6 1/2 15.1 4 484(+2) [西] 内藤繁春
6 2 3 リワードプランダー 牡5 53 小島貞博 2:03.8 1.1/4 15.8 5 478(+4) [西] 鶴留明雄
7 6 11 ヤマニンフォックス 牡7 55 山田和広 2:03.9 3/4 16.3 6 470(+2) [西] 坪正直
8 2 4 ケイウーマン 牝5 54 武豊 2:04.3 2.1/2 6.5 3 466(0) [西] 浅見国一
9 8 16 シンホリスキー 牡7 55 本田優 2:04.9 3.1/2 84.8 13 556(+8) [西] 岩元市三
10 3 6 パリスハーリー 牡7 55 藤田伸二 2:05.0 1/2 74.3 12 466(-4) [西] 加藤敬二
11 3 5 オースミポイント 牡5 53 東田幸男 2:05.1 1/2 95.9 14 446(+6) [西] 白井寿昭
12 8 15 ワカサルーチェー 牡7 48 芹沢純一 2:05.3 1 35.8 10 432(-2) [西] 橋口弘次
13 4 8 ゴールデンアワー 牡8 55 角田晃一 2:05.5 1.1/2 17.0 7 508(-2) [西] 安藤正敏
14 1 2 ワイドバトル セ8 58.5 土肥幸広 2:05.7 1 18.1 8 480(-2) [西] 吉永猛
15 6 12 ロングタイトル 牡7 53 西浦勝一 2:05.8 1/2 100.6 15 472(+6) [西] 大根田裕
16 5 10 マルブツサンキスト 牡8 55 増井裕 2:06.1 1.3/4 141.6 16 484(0) [西] 白井寿昭

払い戻し

単勝 1 1,970 9
複勝 1
7
14
470
120
180
10
1
2
枠連 1 - 4 890 3
馬連 1 - 7 2,080 9

過去のレースの思い出、馬券自慢を勝手に語ってみる企画。
今回はなんと25年以上も前のレースで、1994年の第32回の金杯を語ってみる。
 
このレースは現地観戦をしたレース。この頃は競馬を始めて約1年の頃で、いかにも競馬に嵌りたての時期だったし、意気込みも今現在よりも相当あったころだと思う。そうでもないとあの人混みの中での金杯を現地観戦なんて絶対にしないと思う。


まず整理しておきたいのは、1994年当時は今の京都金杯というレース名ではなく「金杯」というレース名。私の記憶が怪しい面はあるが、当時は関西圏は「金杯・西」、関東圏は「金杯・東」と表記されていたような気がする。おまけに関西圏では西の馬券は買えるが、東の馬券は買えないという変なシステムがあったはず。この辺りの記憶は結構曖昧…。さらに当時は京都競馬場ではなく阪神競馬場での開催(たぶん京都の改修工事だったと思う)。距離も現在の1600m戦では無く、2000m戦だったレース。
   
この金杯を制したのはエイシンテネシー。明け5歳(現在の明け4歳馬)に人気が偏って、古馬の実績馬が評価されにくい状況もあって当時は9人気とかなりの低評価。前年度の金杯での2着馬だったが、近走は結果が出ていなかったのも大きな要因だったと思う。
  
肝心のレース内容だが現地観戦という条件だった事もあり、内容の方はあまり覚えていない。気がつけばエイシンテネシーがゴール前で楽々と先頭に立っていたような気がする…というその程度。とにかく現場は流石に人も多かったし、非常に見づらい状況だったのは覚えている。今と違ってターフビジョンの性能も怪しく、観戦の位置によっては見え難いものあった。ただ馬券的にはシッカリと外しているのは覚えている。
 
今にして思えばハンデ戦とはいえ明け5歳馬が揃って55キロ以上を背負っているのに対して、昨年の2着馬でもあり京都記念でも2着のある馬が53キロは結構な軽ハンデだったように思える。エイシンテネシー自身が53キロ以下でしか好走していないから、結構斤量には敏感だった馬の可能性も高い。前述の昨年2着時、京都記念2着時も共に51キロという軽ハンデだったしね。
 
あとこれも終わってからの話だけど、前年の有馬記念から年を跨いでの田原騎手(トウカイテイオーで勝利)か…というのもあったな。この頃の田原騎手はとてもノッてるという感じで、とにかく人気薄を勝たせるというイメージ。ただ残念なことに田原騎手のこの年の重賞勝ちはこのレースのみになってしまう。
  
ただこのレースの勝ち馬以外の上位馬がその後に揃って活躍する点が面白い。当時の1人気マーベラスクラウンはこの時は2着に敗れたものの、この年に金鯱賞、京都大賞典と勝利して、ついにはジャパンカップまで制する馬になる。2人気で3着に敗れたネーハイシーザーもこの年に大阪杯、京阪杯(当時は2000m)、毎日王冠を勝ち、さらにこの年の天皇賞秋をも制して中距離戦線の主役になり、さらには有馬記念では2人気にまで支持される馬に成長。4着のステイジヒーローは当時すでに9歳馬(現在では10歳表記になる)で流石にこの後は下り坂という感じだったが、この年の大阪杯で3着に入るなど踏ん張りを見せていた。5着だったダイシンサーパスは明け5歳のこの年から急上昇。この後、日経新春杯、目黒記念、阪神大賞典などで好走を続け、G1の宝塚記念でも3着と好走を見せ続けた。
 
個人的馬券的つながりの観点からすると、マーベラスクラウンはお気に入りの騎手(松永幹・武豊・南井克己)が乗り続けた為に追い続け数々の当たり馬券に繋がったし、ネーハイシーザーも馬券での思い出は1回だけと少ないものの色々と印象深い馬に。ダンシングサーパスは目黒記念とセントウルSでまずまずの高配当を取らせてもらう事になる。
 
当時は当然の如くインターネットなんてないし、今ほどの多くの情報を有していた訳ではない。当時の情報は新聞と週刊誌のみ。そんな中で馬券を外したレースで好走した馬を何となく覚えると言うか、あの時走った馬だからなぁ…という感覚になる事で次の馬券に繋がったケースが多かった。こういう事の繰り返しが後にレース回顧重視の予想方法に変わっていく事になっていくのだと思う。
 
上手く馬券に繋がらなければなんて事ないレースの一つになったと思うが、その後に想像以上に馬券に繋がることになるレースとしては、さらに競馬にのめり込んでいくという意味で大きなきっかけとなるレースの一つだったと言えるかもしれない。
 

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  • 羽柴秀長さん

    バンバ・ラルさん、いいね!ありがとうございます。
    クラウンって書いたつもりだったのですが…サンデーになっていますね(・・;)
    ご指摘ありがとうございます。

    2020/01/20 19:32 ブロック

  • バンバ・ラルさん

    マーベラス・・・クラウンですよね?競馬四季報もよく買ってました。

    2020/01/20 08:51 ブロック

  • バンバ・ラルさんがいいね!と言っています。

    2020/01/20 08:48 ブロック

  • 羽柴秀長さん

    ごいちさん、いいね!ありがとうございます。

    2020/01/04 22:08 ブロック

  • 羽柴秀長さん

    懐かしいライアンさん、いいね!とコメントありがとうございます。
    かなり昔のレースですが、懐かしいレースと言って下さる方がいてホッとしております(笑)

    2020/01/04 22:08 ブロック

  • ごいちさんがいいね!と言っています。

    2020/01/04 21:51 ブロック

  • 懐かしいライアンさんがいいね!と言っています。

    2020/01/04 10:07 ブロック

  • 懐かしいライアンさん

    始めまして、
    懐かしいレースですね(^-^ゞ
    私は関東ですがこのレースの事は覚えていますね、馬券の記憶が無いから金杯の東西全国発売はまだだったかも?
    レースの記憶はテレビで見たのかも?
    ネーハイシーザーは思い出の馬ですね!
    天皇賞(秋)の馬券も当たったし!
    でも関東の人間からすると
    塩村って誰?でしたね(笑)
    今程、情報はなかったけどそれはそれで競馬が楽しかった時代だとも思います!

    2020/01/04 10:06 ブロック