595件のひとこと日記があります。
2020/01/15 18:02
過去の思い出 1994年 第41回 日経新春杯
- 11 R
-
第41回日経新春杯(G2)
1994年1月23日 1回阪神8日目 4歳以上オープン (混)(ハンデ)
着 順 |
枠 番 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 斤量 | 騎手 | タイム | 着差 | 単勝 | 人 気 |
馬体重 | 調教師 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 6 | 11 | ムッシュシェクル | 牡7 | 57 | 藤田伸二 | 2:35.5 | 6.0 | 3 | 480(+4) | [西] 小林稔 | |
2 | 2 | 3 | メジロパーマー | 牡8 | 60.5 | 山田泰誠 | 2:35.8 | 2 | 4.7 | 2 | 482(0) | [西] 大久保正 |
3 | 3 | 5 | ダンシングサーパス | 牡5 | 53 | 熊沢重文 | 2:36.4 | 3.1/2 | 31.4 | 11 | 484(0) | [西] 内藤繁春 |
4 | 8 | 16 | マーベラスクラウン | セ5 | 56 | 松永幹夫 | 2:36.5 | クビ | 3.0 | 1 | 492(+6) | [西] 大沢真 |
5 | 2 | 4 | エイシンテネシー | 牝6 | 55 | 田原成貴 | 2:36.5 | クビ | 13.2 | 6 | 472(+2) | [西] 坂口正則 |
6 | 4 | 7 | エルカーサリバー | 牝6 | 56 | 南井克巳 | 2:36.8 | 1.3/4 | 33.5 | 12 | 468(0) | [西] 田中良平 |
7 | 8 | 15 | ダンツシアトル | 牡5 | 55 | 武豊 | 2:37.1 | 1.3/4 | 6.7 | 4 | 496(+12) | [西] 山内研二 |
8 | 5 | 10 | ミスズシンザン | 牡5 | 52 | 上村洋行 | 2:37.1 | ハナ | 24.4 | 7 | 468(+4) | [西] 加藤敬二 |
9 | 6 | 12 | サンエイキッド | 牡5 | 51 | 四位洋文 | 2:38.3 | 7 | 87.5 | 15 | 470(-2) | [西] 古川平 |
10 | 3 | 6 | キョウワハゴロモ | 牝6 | 53 | 小谷内秀 | 2:38.3 | アタマ | 28.6 | 8 | 514(+2) | [西] 佐山優 |
11 | 4 | 8 | ヤマニンフォックス | 牡7 | 55 | 山田和広 | 2:38.5 | 1.1/4 | 82.9 | 14 | 472(+2) | [西] 坪正直 |
12 | 7 | 13 | ルーブルアクト | 牡7 | 56 | 清山宏明 | 2:38.6 | 1/2 | 28.8 | 9 | 450(+8) | [西] 小原伊佐 |
13 | 1 | 1 | メイショウビトリア | セ8 | 57 | 河内洋 | 2:39.0 | 2.1/2 | 30.9 | 10 | 486(0) | [西] 伊藤雄二 |
14 | 5 | 9 | ロイヤルフェロー | 牡5 | 54 | 村本善之 | 2:39.0 | クビ | 12.9 | 5 | 470(-14) | [西] 柴田政見 |
15 | 7 | 14 | エイシンライジン | セ6 | 54 | 小池隆生 | 2:39.3 | 2 | 39.9 | 13 | 474(-2) | [西] 太宰義人 |
16 | 1 | 2 | ビクトリーホーラー | 牡7 | 52 | 北沢伸也 | 2:40.2 | 5 | 199.5 | 16 | 470(+6) | [西] 荻野光男 |
払い戻し
-
単勝 11 600 3 複勝 11
3
5240
290
6702
4
10枠連 2 - 6 1,560 7 馬連 3 - 11 2,420 7
過去のレースの思い出、馬券自慢を勝手に語ってみる企画。
前回に続いて1994年のレースを振り返る。
1993年に競馬を始めた私にとってこの1994年初頭は競馬に相当嵌まり込んでいた時期。1994年の1〜4月だけで何度競馬場に行ったか詳しく覚えてなく、数えきれないくらい行っているはず。この年のこの時期は京都競馬場が改修工事に入っており、阪神競馬場での開催だったのも大きいかな。住んでいる所からは阪神も京都も移動距離はほぼ同じだけど、交通機関の利便性の関係で阪神の方が行きやすいというのも理由の一つ。
という訳でこの年は阪神競馬場での日経新春杯。当時も今も阪神コースに2400mという距離は無く、阪神芝2500mという条件での開催。今からすると何か異色の条件のように思える人もいるかもしれない。
レースの内容結果は少し後回しにして、この時に非常に印象に残っているのがひとつ。当時ゴール前200m付近のスタンド前で観戦していたのだが、その私の立っているすぐ前に男2・女1の面白い3人組が居た。この3人組は当時まだ○○の身分だった私より少し年上くらいのグループに見え、たぶん大学生だったとは思う。この3人組はレース前からも仲良く相当盛り上がっていたとは思うが、圧巻だったのがレース中。馬群が最後の直線に入り、ゴール前200m付近の目の前に来た時の事。
G1程では無いけど最後の直線走路なのでものすごい大歓声ではあるが、その中でも一際大きな声(そういう風に感じた)で…
3人組・男1「ムッシュ〜!!!!」(野太い声で)
すると女が
3人組・女 「パーマー〜!!!」(結構可愛い声)
最後の男がトドメに
3人組・男2「藤田ぁ!!行けぇ!!!!!」(これはほぼ怒号)
この3人組が応援している、もしくは買っているであろうと思われるのが、藤田騎手騎乗(当然だが藤田菜七子騎手ではない)のムッシュシェクルとメジロパーマーの2頭。
結果はムッシュシェクルの綺麗な差し切り勝ちと、メジロパーマーの逃げ粘りで2着。恐らくしっかりと馬券も当たったのだろう。この後の3人組の喜びようもハンパでは無く、なんかレース内容よりもこの3人組のインパクトの強さしか残っていない。
こっちの馬券はハズレ。3人組が応援していたムッシュとパーマーは完全に消しており、馬券的にはどうにもならなかった。買ってたのは前回の金杯に続いての好走を期待したマーベラスクラウン(結果は4着)と、同じく金杯でしてやられた感があったので今回は買ったエイシンテネシー(結果は5着)。ターフビジョンで見ていたから詳しく覚えてないが、大外を捲り気味にいったマーベラスクラウンと、前回同様に内からスルスルと進出していったエイシンテネシーで差し切れるように見えたんだけどなぁ…。観戦位置の200m付近ではムッシュシェクルの脚色が強烈だったのは覚えている。
レース結果の方に目を向けると、勝ち馬ムッシュシェクルは前走のアルゼンチン共和国杯に続いてG2を連勝。遅まきながらいよいよ本格化の兆しを見せた形になった。ちなみに次のレースで阪神大賞典も制してG2を3連勝。この年の天皇賞春で3人気で3着になるなど、この馬自身のハイライトはこの1994年の春だったように思える。
メジロパーマーはこのレースで60.5キロを背負って2着。今では60キロ以上のハンデで出走してくる馬はほとんどいないが、この90年代までは意外とこういうケースも多かった。すでに宝塚記念、有馬記念(共に92年)を制した馬だったが、93年は終始不調のまま終わっており、この2着で復活の狼煙が上がったようにも見えた。ただこの後に脚部不安で休養し後に引退して種牡馬入り。このレースが現役最後のレースという事になる。
3着ダンシングサーパス、4着マーベラスクラウン、5着エイシンテネシーは金杯上位組。これらは前回の1994年の金杯を振り返ったコラムでも触れた馬。ただ中でもマーベラスクラウンはこの頃は1人気にななるが勝ち切れないというか詰めが甘い印象という馬。この敗戦が切っ掛けになったかどうかは不明だが、主戦騎手だった松永幹夫騎手に替わって次戦からは南井騎手が主戦格になっていく。
少し意外なのはこのレースで7着だったのが後の宝塚記念馬のダンツシアトル。この時はオープン昇級初戦でまだ力がつける前の段階。後に屈腱炎の発症もあって準オープンに降級し、再度オープンに昇級してレコードタイムで京都の宝塚記念を制するのは翌年の春の事になる。
-
羽柴秀長さん
バンバ・ラルさん、いいね!ありがとうございます。
あくまでもこの当時の私の感想です。
今や私も現地観戦の時は大声で叫んでおります(笑) -
バンバ・ラルさん
私も現地では叫ぶのでちょっと恥ずかしい。でもやめない(笑)
-
バンバ・ラルさんがいいね!と言っています。
-
羽柴秀長さん
懐かしいライアンさん、いいね!とコメントありがとうございます。
私は南井騎手のファンでして、この年の大活躍は見ていて嬉しかったです。昔を懐かしむ記事ばかりですが、古い話でもお付き合いいただけるのは非常にうれしく思います。ありがとうございます。 -
懐かしいライアンさんがいいね!と言っています。
-
懐かしいライアンさん
この年はナリタブライアンが三冠を取った年ですよね?、
マーベラスクラウンでG15勝の南井が話題になった記憶が
このレースは全国発売でしたね、
当てた記憶がありますから(笑)
しかし金杯組が結構出てますね
距離も変わったけど
今では考えられない位馬も頑張ってましたね!
でも競馬が楽しかった時代の様な気がするのは私が年を取ったからかもね(^-^)/