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2020/03/16 19:33
過去の思い出 1995年 第44回 スプリングS
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第44回フジTVスプリングS(G2)
1995年3月26日 3回中山2日目 4歳オープン 牡・牝(指)(定量)
着 順 |
枠 番 |
馬 番 |
馬名 | 性齢 | 斤量 | 騎手 | タイム | 着差 | 単勝 | 人 気 |
馬体重 | 調教師 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 2 | ナリタキングオー | 牡4 | 56 | 南井克巳 | 1:54.5 | 1.9 | 1 | 470(-6) | [西] 中尾謙太 | |
2 | 7 | 13 | フライトスズカ | 牡4 | 56 | 上村洋行 | 1:54.6 | 1/2 | 16.7 | 4 | 462(-4) | [西] 橋田満 |
3 | 3 | 5 | グローリアスユー | 牡4 | 56 | 蛯名正義 | 1:54.6 | クビ | 44.7 | 10 | 492(-8) | [西] 加藤敬二 |
4 | 6 | 11 | フロインシャフト | 牡4 | 56 | 加藤和宏 | 1:54.8 | 1.1/4 | 73.9 | 12 | 480(-4) | [東] 田中清隆 |
5 | 8 | 14 | エアジャスティス | 牡4 | 56 | 岡部幸雄 | 1:54.9 | 1/2 | 19.7 | 5 | 440(-2) | [東] 伊藤正徳 |
6 | 6 | 10 | マックスウィンザー | 牡4 | 56 | ロバーツ | 1:55.0 | クビ | 21.6 | 6 | 434(-6) | [西] 伊藤雄二 |
7 | 1 | 1 | セントカーン | 牡4 | 56 | 田中勝春 | 1:55.0 | ハナ | 4.3 | 2 | 526(-2) | [東] 二本柳俊 |
8 | 2 | 3 | エイティグロー | 牡4 | 56 | 田島信行 | 1:55.1 | クビ | 36.0 | 9 | 420(-6) | [西] 中尾正 |
9 | 7 | 12 | スターギャラクシー | 牡4 | 56 | 見沢譲治 | 1:55.3 | 1.1/4 | 132.6 | 14 | 494(0) | [地] 海馬沢司 |
10 | 5 | 8 | マイネルガーベ | 牡4 | 56 | 木幡初広 | 1:55.6 | 2 | 31.4 | 8 | 452(0) | [東] 稲葉隆一 |
11 | 5 | 9 | メイショウテゾロ | 牡4 | 56 | 上籠勝仁 | 1:56.0 | 2.1/2 | 6.1 | 3 | 468(-6) | [西] 星川薫 |
12 | 8 | 15 | タヤスオーツカ | 牡4 | 56 | 柴田善臣 | 1:56.0 | アタマ | 88.5 | 13 | 454(-6) | [西] 中村好夫 |
13 | 3 | 4 | ベストタイアップ | 牡4 | 56 | 横山典弘 | 1:56.1 | 3/4 | 30.8 | 7 | 434(-12) | [東] 松山康久 |
14 | 4 | 7 | ウィナーズウェイ | 牡4 | 56 | 的場均 | 1:57.3 | 7 | 50.3 | 11 | 464(+2) | [東] 柄崎義信 |
15 | 4 | 6 | シンコウハツシモ | 牡4 | 56 | 坂本勝美 | 1:57.7 | 2.1/2 | 153.1 | 15 | 468(-6) | [東] 田中清隆 |
払い戻し
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単勝 2 190 1 複勝 2
13
5130
300
6001
4
9枠連 2 - 7 1,110 5 馬連 2 - 13 1,140 3
過去のレースの思い出、馬券自慢を勝手に語ってみる企画。
今回は1995年に行われたスプリングSを振り返る。
まずこのスプリングSが行われたのが1995年の3月下旬。しかし3月上旬の弥生賞を快勝したフジキセキが、スプリングSの数日前にまさかの電撃引退(屈腱炎の為)。クラシック戦線の主役が急に居なくなった事により、皐月賞を占う非常に重要な一戦となるのがこの年のスプリングSだった。
このレースで圧倒的人気となったのが前走で共同通信杯を制していたナリタキングオー。他の出走馬に有力馬が非常に少なかった影響もあったのは事実だが、それ以上にこの前年に三冠馬となったナリタブライアンと非常に被る面があったのも人気の要因だろう。ナリタの冠名の馬であるし、前走から乗っているのが南井騎手。毛色は黒鹿毛と鹿毛という違いはあったが素人目には同じに見えたし、何よりシャドーロールまで付けていたのは大きかったと思う。さらに前述のように共同通信杯を制してこのスプリングSに出走したローテはブライアンと同じだし、このレースでは奇しくもブライアンと同じ2枠2番の枠に入っており、やはり何かを感じずにはいられない状況だったのは間違いない。
レース内容の方は不良馬場の中でのハイペースの消耗戦になる。確かに同じ皐月賞のステップレースでも弥生賞は緩い流れ、スプリングSは流れる展開というのはこの当時からあったが、この不良馬場でハイペースはちょっと異常だったかもしれない。
この流れを1人気のナリタキングオーは3角から馬なりで上がって行き、4角先頭からそのまま押し切る展開に。後半3Fはすべて13秒台であり自身の上り3Fタイムは40.3秒で、勝ち時計も1.54.5秒とかなり時計を要している。最後のゴール前は見るからにフラフラではあったが、後続馬も同様でゴール前でフライトスズカ、グローリアスユーが外から何とか追い込んできたものの、こちらも脚色はそこまでは良くはない。結果2着以下に半馬身の差をつけての勝利だった。
これでナリタキングオーは共同通信杯(当時は共同通信杯4歳S)に続いて重賞を連勝。3歳時(現在の2歳)にもデイリー杯3歳S、京都3歳S、ラジオたんぱ杯3歳Sで2着があり、このスプリングS終了時で重賞2勝を含む7戦7連対の実績を引っ提げて皐月賞へと向かう事になるのである。前述のようにナリタブライアンと被る面も多々ある状況下で、当然皐月賞でも1人気になる…はずであった。ただこの不良馬場でのハイペースが堪えたのか、皐月賞の前日(もしかしたら前々日だったかもしれない)に体調不良で出走取消となり、ファンが期待したナリタの冠名馬が2年連続で三冠馬となる夢と期待はこの時点で終わってしまうのである。
ナリタキングオーはこの一頓挫の後に立て直されてダービーへ向かうも11着敗退。秋初戦の神戸新聞杯も10着と大敗したが、続く京都新聞杯(当時は菊花賞TR)であのマヤノトップガンを退けて重賞3勝目を飾る。意気揚々と菊花賞に向かって2人気の支持を集めるも結果は7着敗退。後に中距離戦線を舞台に出走を重ねるが目立った好走例もなく、1998年に地方競馬へ転厩後に引退。個人的にはかなり応援していた馬だったが、重賞を3つも制しながら種牡馬になることが出来なかったのが非常に残念な思いがある。
勝ち馬以外は結果的にレベルが低いと言えるのか、その後の活躍したという馬は意外と少ない。数少ない中での筆頭格がこのレースでは13着と良い所が無かったベストタイアップ。この馬はこのレース後に500万条件から出直して連勝を重ね、翌年の1996年の中山金杯を快勝。さらに翌年の1997年中山金杯を連覇したのち、東京新聞杯までも制して重賞3勝馬に。こちらはナリタキングオーとは異なり引退後に種牡馬になることが出来ている。ベストタイアップの場合は父のアンバーシャダイの血を引いていたというのが大きかったと思う。
あとはこのレースで3人気に支持されながらも11着に大敗したメイショウテゾロが、この年のマイルCSで16人気ながら2着に突っ込んできて馬連で10万馬券になるという大波乱を演出することになる。